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来原良蔵 くるはら りょうぞう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

来原良蔵 くるはら-りょうぞう

1829-1862 江戸時代後期の武士。
文政12年12月2日生まれ。木戸孝允(たかよし)の義弟。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。西洋砲術などをまなび,藩の軍制改革につくす。長井雅楽(うた)の「開国進取・公武合体」を支持するが,文久2年藩論は攘夷(じょうい)に決定。雅楽の同調者との汚名をそそぐため外国人襲撃を計画するがはたせず,同年8月29日自刃(じじん)した。34歳。本姓は福原。名は盛吉,盛功。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

来原良蔵

没年:文久2.8.29(1862.9.22)
生年:文政12.12.2(1829.12.27)
幕末の長州(萩)藩軍制家。古くは「くるはら」とも読む。名は盛功。福原家に生まれ,天保13(1842)年,大組の来原家(73石)の養子となる。吉田松陰,桂小五郎(木戸孝允)らと交わり,桂の妹ハルを妻とした。ペリー来航時に出軍し,中島三郎助に操銃を習い,安政5(1858)年にオランダ人による長崎海軍伝習に参加する。翌年,長州藩の西洋式銃陣操練に当たり,保守派の妨害にあいつつ,軍制規則制定,教練の実行などに功績を挙げた。幕府よりの長井雅楽の航海遠略策に賛同したと批判され,長州藩江戸藩邸で自刃した。<参考文献>妻木忠太『来原良蔵伝』

(井上勝生)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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