朝日日本歴史人物事典 「来原良蔵」の解説
来原良蔵
生年:文政12.12.2(1829.12.27)
幕末の長州(萩)藩軍制家。古くは「くるはら」とも読む。名は盛功。福原家に生まれ,天保13(1842)年,大組の来原家(73石)の養子となる。吉田松陰,桂小五郎(木戸孝允)らと交わり,桂の妹ハルを妻とした。ペリー来航時に出軍し,中島三郎助に操銃を習い,安政5(1858)年にオランダ人による長崎海軍伝習に参加する。翌年,長州藩の西洋式銃陣操練に当たり,保守派の妨害にあいつつ,軍制規則制定,教練の実行などに功績を挙げた。幕府よりの長井雅楽の航海遠略策に賛同したと批判され,長州藩江戸藩邸で自刃した。<参考文献>妻木忠太『来原良蔵伝』
(井上勝生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報