フランスのパリ外国宣教会宣教師。開国後の1863年(文久3)那覇(なは)に上陸、同年長崎に渡った。1865年(慶応1)の大浦天主堂建立に従事し、同年3月17日、浦上(うらかみ)の潜伏キリシタンと劇的な邂逅(かいこう)をした。翌1866年日本司教となりキリシタン復活に努めたが、1867年の浦上四番崩れ、1870年(明治3)の浦上信徒20藩22か所配流(はいる)などの迫害に直面して、信徒の激励とその釈放に奔走、1873年の禁令撤廃まで苦難の日を送った。この間、二度ローマを往復し、さらに1867年にもローマに赴き、日本教会を北緯と南緯に二分する許可を得て、南緯教会の司教となり、その発展に献身した。1884年(明治17)10月長崎で没し、浦上天主堂内に葬られた。なおその業績は教育事業に及び、サン・モール修道女会や、のちに信愛女子学院を設立する「ショファイユの幼きイエズス会」などの誘致に尽力した。
[磯見辰典 2018年2月16日]
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