東家村(読み)とうげむら

日本歴史地名大系 「東家村」の解説

東家村
とうげむら

[現在地名]橋本市東家三―五丁目

紀ノ川北岸にあり、大和街道高野街道が交わる。東は橋本町、西は寺脇てらわき村。「続風土記」は東家の名義つまびらかならずとしながらも、「一説に東家古はあつまやと唱ふ、山家集にあつまやと詠みし歌を紀伊の名所とせる説もあれは、今村の北の小高き山を東屋の峰といひしならん歟といへとも定めかたし、今按するに東家は峠の仮字にて、峠とは村の北の山をさしていへるにや」と記す。

相賀庄惣社大明神神事帳写(相賀大神社文書)所収の正平二一年(一三六六)頃の文書に「別当神主等免田之事」として下田一反の作人は「東家十郎」とあり、同じく天授三年(一三七七)頃の文書によれば、相賀大おうがだい神社八月放生会に東家村から御幣料として米二斗五升が支出されている。


東家村
とうげむら

[現在地名]庄内町庄内原しようないばる 東家

大分川左岸に位置し、西は桑畑くわばたけ村。江戸時代を通じて府内藩領で、奥郷蛇口組に属した(府内藩記録)正保郷帳に村名がみえ田高八五石余・畑高四七石余、日損所とあり、阿南あなん庄に所属。旧高旧領取調帳では高一七九石余。用水武宮たけみや井路掛り一一三石余、馬渡まわたり掘次井路掛り三七石余(三重野家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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