中国、東晋(とうしん)の文人。字(あざな)は景純。聞喜県(山西省)の人。博学で詩文の才に恵まれ、当時の有力者に重用され、東晋建国に寄与した王敦(おうとん)(266―324)の参軍書記となったが、王敦の謀反に反対して殺された。『晋書』(巻72)の本伝には、とくに彼の五行、天文、卜筮(ぼくぜい)に関する優れた能力についての記録がみえる。詩人としても一流で、その代表作『遊仙詩』(14首)は、道家の立場にたって神仙を求める思想詩としての深みがあって高く評価される。学者としては、『爾雅(じが)』『方言』『穆天子伝(ぼくてんしでん)』『山海経(せんがいきょう)』などに注を施し、現在なお益するところが多い。
[竹田 晃 2016年1月19日]
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… 後代《広雅》をはじめ多くの雅の字を冠する同類の字書を生んだ。漢代すでにいくつかの注釈が作られたが,散逸して断片しかのこらず,完全なテキストは晋の郭璞(かくはく)の注したものだけである。宋の邢(けいへい)はこれに従って《爾雅義疏》11巻を作り,今日ではそれが《十三経注疏》の中に収められ〈経〉に準ずる扱いを受けている。…
…元来は図が付いていたが,そのままの形では現在に伝わらない。晋の郭璞(かくはく)に注があり,清の郝懿行(かくいこう)《山海経箋疏》がより詳しい注と校定を加えている。【小南 一郎】。…
…317年から420年,元帝司馬睿(しばえい)から恭帝司馬徳文まで11代。創業の初めにあたって王朝の命数を占った郭璞(かくはく)は,〈二百年を享(う)けん〉といったという。〈百二年〉をひっくりかえして〈二百年〉といったのであり,およそ102年で滅んだ。…
…中国,西周の穆王の事跡を日月を追って記録したもので,汲冢(きゆうちよう)書の一つ。晋の荀勗(じゆんきよく)らが整理を加え,郭璞(かくはく)が注を付けた。6巻。…
※「郭璞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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