東津村(読み)ひがしならづむら

日本歴史地名大系 「東津村」の解説

津村
ひがしならづむら

[現在地名]岡山市楢津ならづ

山崎やまさき村の東、坊主ぼうず山山塊の南西麓にあり、東は首部こうべ村、南はささ川を限り、対岸万成まんなり村・大安寺だいあんじ村。寛永備前国絵図・正保郷帳では楢津村とあるが、貞享三年(一六八六)東楢津村と改め、中楢津・西楢津を枝村とした(撮要録)中世には楢津保が成立、同保は応安元年(一三六八)一一月周匝すさい(現赤磐郡吉井町)とともに国衙別納として御薬所料所に付けられ、典薬頭丹波為直に一円管領が命ぜられた(「後光厳天皇綸旨」柳原家記録)。長享二年(一四八八)八月二四日、領家の千本丹三位(典薬頭丹波重直)幕府に直務を訴え認められた。


東津
ひがしつくみむら

[現在地名]久瀬村東津汲

揖斐川左岸、樫原かしばら村の南東にあり、当地で小津おづ川が流れ込む。南に枝郷の樒平しきびだいらがあり、揖斐川対岸は西津汲村。慶長郷帳に村名がみえ、高九一石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では幕府領。正保郷帳では大垣藩領で、畑九一石余、ほか小物成として入木一三二束・ひそ木一三二本・綿一六〇匁。元禄郷帳でも大垣藩領。明治五年(一八七二)の村明細帳によれば畑一三二石余・一九町四反余、家数五一、男一四三・女一二六、牛一五。


東津村
ひがしづむら

[現在地名]三根町大字東津字東津

筑後川(旧本流、現切通きりどおし川下流)西岸、標高五メートル未満の低平地に立地。堀が多い。正保絵図に村名がみえる。佐賀藩の藩政期には全村配分地で、その大部分は白石鍋島家の私領と家老鍋島主水家の知行地であり、残りを小配分士八名で知行している(嘉永六年写の大小配分石高帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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