東浦庄治(読み)ひがしうらしょうじ

改訂新版 世界大百科事典 「東浦庄治」の意味・わかりやすい解説

東浦庄治 (ひがしうらしょうじ)
生没年:1898-1949(明治31-昭和24)

昭和前期の農業団体指導者農政学者。三重県の自作農の家に生まれ,1923年東大経済学部卒。安田信託銀行帝国農会,産業組合中央会をへて,36年から帝国農会の幹部となり,農業団体を指導した。農本主義思想が優勢な潮流に抗し,農業問題を日本経済の歴史的発展と関連させ,《日本農業概論》(1933)などの名著を発表,農政学界に新風を吹き込んだ。東大などの講師を兼ねた。43年に治安維持法違反で検挙され,第2次大戦後参議院議員緑風会)などで活躍したが,過労のため精神的苦悩が重なって自殺。《日本農政論》(遺著,1952)などがある。
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20世紀日本人名事典 「東浦庄治」の解説

東浦 庄治
ヒガシウラ ショウジ

大正・昭和期の農政学者,政治家 全国農業会理事;参院議員。



生年
明治31(1898)年4月8日

没年
昭和24(1949)年9月2日

出生地
三重県

学歴〔年〕
東京帝大経済学部〔大正12年〕卒

経歴
安田信託銀行を経て、帝国農会に入り、大正14年参事。農政、経済各部長を経て、昭和15年幹事長兼総務部長。かたわら東大農学部実科講師、東京農大講師を兼任。また産業組合中央会主事、農地開発営団監事、中央農業会理事を歴任。戦後全国農業会理事。22年には参院議員に当選、綠風会に属し、同会会務委員を務めた。著書に「日本農業概論」「農業団体の統制」「日本産業組合史」「日本農政論」などがあある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「東浦庄治」の解説

東浦 庄治
ヒガシウラ ショウジ


肩書
参院議員,全国農業会理事

生年月日
明治31年4月8日

出生地
三重県

学歴
東京帝大経済学部〔大正12年〕卒

経歴
安田信託銀行を経て、帝国農会に入り、大正14年参事。農政、経済各部長を経て、昭和15年幹事長兼総務部長。かたわら東大農学部実科講師、東京農大講師を兼任。また産業組合中央会主事、農地開発営団監事、中央農業会理事を歴任。戦後全国農業会理事。22年には参院議員に当選、綠風会に属し、同会会務委員を務めた。著書に「日本農業概論」「農業団体の統制」「日本産業組合史」「日本農政論」などがあある。

没年月日
昭和24年9月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東浦庄治」の意味・わかりやすい解説

東浦庄治
ひがしうらしょうじ

[生]1898.4.8. 三重
[没]1949.9.2.
大正,昭和の農業団体の指導者で農政学者。東京大学卒業 (1923) 。帝国農会参事 (36) 。治安維持法違反で検挙 (43) 。第2次世界大戦後は参議院議員 (47) 。全国農業共済会会長としても活動したが,激動する内外情勢に対応できずに自殺。『日本農業概論』『日本農政論』などの著書がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東浦庄治」の解説

東浦庄治 ひがしうら-しょうじ

1898-1949 大正-昭和時代の農業団体指導者。
明治31年4月8日生まれ。安田信託銀行から帝国農会にうつり,昭和15年幹事長となる。戦後,全国農業会理事となり,22年参議院議員(緑風会)。昭和24年9月2日過労による精神的苦悩で自殺した。52歳。三重県出身。東京帝大卒。著作に「日本農業概論」など。

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