日本大百科全書(ニッポニカ) 「東藻琴」の意味・わかりやすい解説
東藻琴
ひがしもこと
北海道東部、網走(あばしり)支庁(現、オホーツク総合振興局)管内にあった旧村名(東藻琴村(むら))。現在は網走郡大空(おおぞら)町の東部を占める地域。旧東藻琴村は1947年(昭和22)網走町から分村、同時に網走町は市制施行して網走市となった。2006年(平成18)、網走郡女満別町(めまんべつちょう)と合併して大空町となる。旧村名の藻琴の由来はアイヌ語モコルト(眠る沼の意)など数説がある。国道334号が通じる。旧村域は網走市の南東部に接し、藻琴山の北麓(ほくろく)に続く斜面と丘陵地、藻琴川とその支流が開析した谷床からなる。開拓は1906年(明治39)に始まり、大正中期までのハッカ、アマ栽培などの好況が開拓を前進させた。現在は水稲作はほとんど行われず、サトウダイコン(テンサイ)、ジャガイモ、小麦などの寒地畑作と酪農を中心とするが、1980年代以降はナガイモや花卉(かき)の栽培、肉牛肥育などをとり入れた複合経営も広まっている。
[岡本次郎]
『『東藻琴村史』(1972・東藻琴村)』