松本操貞(読み)マツモト ソウテイ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松本操貞」の解説

松本 操貞
マツモト ソウテイ


職業
箏曲

別名
号=桂の屋

生年月日
弘化3年

出身地
上野国邑楽郡堀エ村(群馬県)

経歴
5歳で失明、10歳で江戸に出て2代目小名木検校に、次いで3代目白勢検校に山田流箏曲を学んだ。長瀬勝男に平曲師事。また鍼治療術も修めた。維新のころ足利に移り漢籍を川上春山に、和歌を大河内清香に師事。明治6年頃宇都宮で盲人教育会を創立。東京では当道会を興し、雑誌「天夜の友」を発刊。また心種会を主宰、歌道研究に努めた。28年明治女学校箏曲科講師。32年富士講の扶桑教の中に「仁康協会」を創設、江戸以来の官位と無関係の検校、勾当の称を与える団体を組織した。作曲に「千代の影」「春の田家」「月に桜」「紅葉」「越後の秋」などがある。

没年月日
大正3年 11月12日 (1914年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本操貞」の解説

松本操貞 まつもと-そうてい

1846-1914 幕末-明治時代の箏曲(そうきょく)家。
弘化(こうか)3年生まれ。2代小名木検校(おなぎけんぎょう),白勢高実に山田流箏曲を,長瀬勝男一(まさおいち)に平曲(平家琵琶(びわ))をまなぶ。また漢籍,和歌,鍼治(しんじ)もおさめた。明治32年山下松琴(しょうきん)らと仁康協会を創設し,あらたに検校,勾当(こうとう)などの位をあたえた。「千代の影」などを作曲。大正3年11月13日死去。69歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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