松本金太郎(読み)マツモト キンタロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松本金太郎」の解説

松本 金太郎
マツモト キンタロウ


職業
能楽師(宝生流シテ方)

旧名・旧姓
中田

別名
幼名=音吉

生年月日
天保14年 9月19日

出生地
江戸(東京都)

経歴
幼くして宝生流・松本弥八郎の養子となる。明治維新の時、徳川慶喜に随行して静岡に行き辛酸をなめたが、明治17年に上京し、神田猿楽町に居を定め稽古舞台をつくる。温故会と称する素人会を催していたが、のち宝生九郎知栄も出勤する宝生流を代表する催能に発展し、今日の宝生会の母体となった。その芸風は上品で枯淡の趣を特色とした。

没年月日
大正3年 12月16日 (1914年)

家族
二男=松本 長(能楽師)

親族
甥=泉 鏡花(小説家)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本金太郎」の解説

松本金太郎 まつもと-きんたろう

1843-1914 幕末-明治時代の能楽師シテ方。
天保(てんぽう)14年9月19日生まれ。宝生(ほうしょう)流の松本弥八郎の養子。幕府崩壊後,徳川慶喜(よしのぶ)に随行して駿府(すんぷ)に隠退したが,明治15年上京して能楽の振興につくした。次男松本長(ながし)が跡をつぐ。大正3年12月16日死去。72歳。江戸出身。本姓は中田。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松本金太郎の言及

【松本長】より

…宝生流シテ方。宝生流の名家,松本金太郎(1843‐1914)の次男として静岡に生まれる。1882年父とともに上京,16世宝生九郎に入門,1917年九郎が没するまで稽古(けいこ)を受け,野口政吉(のち野口兼資(かねすけ))とともに宝生流の双璧(そうへき)とうたわれた。…

※「松本金太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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