松蔭寺(読み)しょういんじ

精選版 日本国語大辞典 「松蔭寺」の意味・読み・例文・類語

しょういん‐じ【松蔭寺】

静岡県沼津市にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は鶴林山。弘安年間(一二七八‐八八)天祥西堂和尚が創建

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日本歴史地名大系 「松蔭寺」の解説

松蔭寺
しよういんじ

[現在地名]沼津市原

はらひがし町にある禅宗寺院(単立)。鵠林山と号し、本尊釈迦如来。江戸時代中期の臨済僧で、臨済宗中興の祖といわれる白隠(号鵠林)ゆかりの寺として知られる。鎌倉円覚寺無学祖元の弟子天祥西堂の創建と伝え、その後いったん衰微したが、江戸初期に興津清見おきつせいけん(現清水市)の大瑞宗育(万治二年没)が中興して妙心寺派に転じたという(「駿河志料」など)

松蔭寺
しよういんじ

[現在地名]鶴見区東寺尾一丁目

中世寺尾てらお郷の中心に位置し、字向谷むかいやの三角山にある。臨済宗建長寺派、仙鶴山と号し、本尊は釈迦如来。鎌倉建長寺三〇世仏寿禅師枢翁妙環の建立と伝える。建武元年(一三三四)五月一二日の裏書のある鶴見寺尾地図(金沢文庫蔵)の中央に、「寺」と記されている。鎌倉末・南北朝期の社会変動を背景にして、寺尾地頭・師岡給主・末吉領主など近隣の在地領主による寺領の侵略が続いていたことがわかる。なおほぼ同内容の絵図一葉が当寺に伝えられており、「風土記稿」に転写されている。

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世界大百科事典(旧版)内の松蔭寺の言及

【原】より

…また天保年間(1830‐44)には箱根越しに魚や塩を送る越魚荷商人仲間がおり,漁業がさかんであった。東町の松蔭寺は臨済宗中興の祖白隠慧鶴が住持した寺として有名。1968年沼津市と合体。…

※「松蔭寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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