コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

松阪城 まつさかじょう

日本の城がわかる事典の解説

まつさかじょう【松阪城】

三重県松阪市にあった平山城(ひらやまじろ)。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。市街中心部の北方、阪内川のほとりに築かれた城で、今日では壮大な石垣の遺構が残る城跡として知られている。元亀年間(1570~73年)ごろに潮長政が砦を築いたのが松阪城の起源とされている。1584年(天正12)、松ヶ島城に入城した蒲生氏郷(がもううじさと)は、居城が手狭で不便なことから、新たに四五百森(よいほのもり)に新城を築城した。これが今日まで遺構として残されている松阪城の始まりである。1590年(天正10)、豊臣秀吉は小田原北条氏を降した後、奥州の仕置きを行った。それにともない、氏郷は秀吉から奥州の伊達(だて)氏の目付的な役割を命じられて黒川城(のちの若松城、福島県会津若松市)へ転封になった。氏郷に代わり、服部一忠が3万5000石の松阪城主として入城したが、一忠は豊臣秀次事件に連座して改易となったため、1595年(文禄4)には古田重勝が入城した。古田氏は徳川家康が幕府を開いた後も城主(初代松坂藩主)として存続したが、1619年(元和5)、第2代藩主の古田重治の代に石見国の浜田城(島根県浜田市)に移った。このとき、松坂藩は廃されて紀州藩領に組み込まれた。松阪城は南勢(伊勢南部)の紀州藩領17万9000石の統治の拠点となり、紀州藩から城代が派遣され、明治維新を迎えた。この間、1794年(寛政6)には二の丸に紀州藩陣屋が建てられた。以後、この陣屋が伊勢南部の紀州藩領経営の拠点となった。松阪城が紀州藩の城になった後、城内の天守や櫓(やぐら)門などの建物は手入れされず放置されたため、1644年(正保1)の台風の来襲で、天守は倒壊、以後、天守が再建されることはなく、今日まで天守台のみが残ることになった。1871年(明治4)の廃藩置県により廃城となり、1877年(明治10)には失火により二の丸御殿を焼失し、1881年(明治14)ごろには城内の建造物は破却処分となった。このため、建物の遺構はないが、蒲生氏郷ゆかりの見事な石垣が残されている。なお、裏門外に紀州家の城番の住居が並ぶ御城番屋敷が残っているほか、殿町御城番に松阪城ゆかりの米倉がある。JR紀勢本線・近鉄山田線松阪駅から徒歩約15分。◇四五日(よいほ)城ともよばれる。なお、古くは「松坂城」と記された。

出典|講談社日本の城がわかる事典について | 情報

松阪城の関連キーワード三重県松阪市殿町松阪[市]松阪赤菜松ヶ島城松坂城跡亀山城

今日のキーワード

所信表明演説

政府の長が施政に関する考え方を明らかにするために行う演説。日本の国会では、臨時国会や特別国会の冒頭に内閣総理大臣が衆議院および参議院の本会議場で行い、当面の問題を中心にその国会における内閣の方針を示す...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

松阪城の関連情報