林 きむ子
ハヤシ キムコ
- 職業
- 日本舞踊家
- 肩書
- 林流創始者
- 別名
- 前名=西川 喜舞,西川 扇紫
- 生年月日
- 明治19年 12月1日
- 出生地
- 東京・柳橋
- 学歴
- 仏英和女学校,日本女子美術学校
- 経歴
- 義太夫の豊竹和国太夫、竹本素行の長女。9歳で藤間久満、次いで初代西川喜洲に師事。西川喜舞を許された。のち9代目扇蔵門下となり、西川扇紫。仏英和女学校仏語科、日本女子美術学校に学び、国文学を研究。明治37年代議士の日向輝武と結婚、死別後大正8年詩人林柳波と再婚。13年西川の名を返上、新舞踊・林流を興し、銀閃会を主宰。「冥府の想思鳥」「貝中夢」「仁和寺の法師」など、児童舞踊や文学的創作舞踊を多数発表、舞踊譜も創案した。日本舞踊協会監事。
- 受賞
- 勲五等瑞宝章〔昭和41年〕
- 没年月日
- 昭和42年 2月2日 (1967年)
- 家族
- 夫=林 柳波(詩人),前夫=日向 輝武(衆院議員),娘=林 一枝(日本舞踊家)
- 伝記
- 大正美人伝―林きむ子の生涯 森 まゆみ 著(発行元 文芸春秋 ’00発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
林 きむ子
ハヤシ キムコ
大正・昭和期の日本舞踊家 林流創始者。
- 生年
- 明治19(1886)年12月1日
- 没年
- 昭和42(1967)年2月2日
- 出生地
- 東京・柳橋
- 別名
- 前名=西川 喜舞,西川 扇紫
- 学歴〔年〕
- 仏英和女学校,日本女子美術学校
- 主な受賞名〔年〕
- 勲五等瑞宝章〔昭和41年〕
- 経歴
- 義太夫の豊竹和国太夫、竹本素行の長女。9歳で藤間久満、次いで初代西川喜洲に師事。西川喜舞を許された。のち9代目扇蔵門下となり、西川扇紫。仏英和女学校仏語科、日本女子美術学校に学び、国文学を研究。明治37年代議士の日向輝武と結婚、死別後大正8年詩人林柳波と再婚した。13年西川の名を返上、新舞踊・林流を興し、銀閃会を主宰。「冥府の想思鳥」「貝中夢」「仁和寺の法師」など、児童舞踊や文学的創作舞踊を多数発表、舞踊譜も創案した。日本舞踊協会監事。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
林きむ子 はやし-きむこ
1886-1967 大正-昭和時代の日本舞踊家。
明治19年12月1日生まれ。初代西川喜洲(きしゅう),9代西川扇蔵(せんぞう)に師事,西川扇紫を名のる。夫日向(ひなた)輝武と死別,林柳波と再婚。児童舞踊や創作舞踊をめざして林流を創始。銀閃会を主宰,舞踊譜も創案した。昭和42年2月2日死去。80歳。東京出身。日本女子美術学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
林 きむ子 (はやし きむこ)
生年月日:1886年12月1日
大正時代;昭和時代の日本舞踊家。林流創始者;日本舞踊協会監事
1967年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の林きむ子の言及
【日本舞踊】より
…また俳優の家から出たものに3世中村歌右衛門を初世とする中村流があり,同じ中村流を名のるものに,初世中村富十郎を祖とするもの,中村弥八(1703‐77)を祖とする虎治派,3世坂東三津五郎より出た[坂東流]があり,そのほか水木流,岩井流,市川流,尾上流等がある。さらに新舞踊からも新流派はあり,藤蔭流,五条流,林きむ子(1886‐1967)の林流,[西崎緑]の西崎流がある。上方舞では篠塚文三郎(?‐1845)を祖とする篠塚流,井上八千代の[井上流],山村友五郎による[山村流],楳茂都(うめもと)扇性の[楳茂都流],吉村ふじ(?‐1909)の吉村流等がある。…
※「林きむ子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」