死後におもむく他界の一つ。冥界,黄泉(よみ)などともいい,英語のhellがこれに相当する。冥府観は,民族により,宗教によって多様であるが,本項では日本への影響の大きかった中国のものについて記述する。ひろくは〈地獄〉〈他界〉〈黄泉国〉〈死〉などの項を参照されたい。
古代中国では,死者の霊魂の帰する所は〈黄泉〉〈九泉〉〈幽都〉などと呼ばれ,本来地下にあると考えられたが,後には北方幽暗の地にあるとする説も生じた。死者の魂魄を呼びもどす招魂の儀礼が北方に向かって行われるのはそのためである。しかし,古代の具体的冥府観は必ずしも明確ではない。後漢時代には,墓券の記述に見られるように,黄帝が天帝の命を受けて死者を統治する神に当てられ,丘丞,墓伯,地下二千石,主墓獄史,墓門亭長といった冥界の官僚組織が考えられるようになった。また,霊魂の赴く場所としては各地の名山が当てられるようになり,なかでも山東省の泰山がその代表格とされた。泰山は古来山岳信仰の中心地であったが,泰山神が天帝の命を受けて人間の寿夭禍福をつかさどる神と考えられたことから,やがて寿命の尽きたものを拘引する冥府の神という性格を付与され,いわゆる泰山治鬼説が形成されて後漢から魏にかけて盛行した。この泰山の神は泰山府君と呼ばれ,その下には泰山主簿,泰山録事,泰山伍伯などの属僚がいて,寿命台帳の管理,死者の拘引,冥界の統治に当たると考えられた。かかる泰山の組織は現世の地方行政組織をそのまま反映した,きわめて現実的で素朴なものであり,死霊も泰山で現世同様の徒役に服するものと考えられていた。
しかし,仏教の地獄説と習合するようになると,死者の生前の行為の善悪を審判する権能や罪業に対する行刑施設としての泰山二十四獄などの本来もたなかった要素を加える一方,泰山府君の地位は単なる冥府の一判官に下落して,後世,東岳大帝が新たに泰山神に当てられることになった。東晋期には,道教教理の中で新たに北方僻遠の地に,北大帝を主神とし四明公以下の官僚組織をもつ羅酆(らほう)山(羅酆都,酆都)という冥府の存在が説かれるようになった。この羅酆山下には紂絶陰天宮以下六宮からなる冥府があり,死者はそのいずれかに出頭して審判を受け,善行のあった者は鬼帥あるいは地下主者という冥府の下級官吏に任命されて将来の再生昇仙を約束され,その他の者は永遠に冥府での徒役に従事するとされた。この酆都説はやがて仏教の地獄説と習合して,北大帝は閻羅王と同一の神格とみなされるとともに,泰山は羅酆山の出先機関に格下げされた。唐以降は四川省の酆都県が酆都の所在地に当てられるようになり,近世まで民衆の信仰を集めた。
また唐末には,中国古来の冥府説と仏教の地獄説,中有の思想を雑糅した十王信仰が盛んになった。これは,冥府には閻羅王,太山王など十判官がいて,七七忌,一年忌,三年忌の十忌日に順次死者の罪業を審判し,三年忌に最終判決を下すので,忌日ごとに供養を行って死者の追善を図ろうとするものである。これは日本でも流行し,各地に十王図や十王像がまつられた。唐以降は冥府の観念に大きな変化は見られない。
執筆者:麦谷 邦夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…死後赴くべき他界の一つ。冥界,冥府,陰府(よみ)などともいい,英語のhell,ドイツ語のHölle,フランス語のenfer,イタリア語のinfernoなどに相当する。一般に,墓地の情景や死体の腐乱過程との連想から生みだされたものだが,超常的な観念や表象によって作りだされた場合もある。…
…この迷いの世界は地獄,餓鬼,畜生の三悪道で,そこは暗く,苦しい世界なので幽冥の処,すなわち冥途と呼んだ。死後の迷いの世界を幽冥とするのは仏教本来のものではなく,道教の冥府(めいふ)の信仰との習合によるものである。閻羅王(または閻魔王,閻魔)をはじめとする十王や多くの冥官(冥府の役人)によって亡者は罪を裁かれ,それ相応の苦しみに処せられると信じられるようになったのは,おそらく中国の唐末期,9世紀後半からであろう。…
※「冥府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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