改訂新版 世界大百科事典 「林復斎」の意味・わかりやすい解説 林復斎 (はやしふくさい)生没年:1800-59(寛政12-安政6) 江戸後期の幕府の儒官。諱(いみな)は韑(あきら)。林述斎の第6子。書物奉行,二丸留守居,先手鉄砲頭,西丸留守居を歴任。1853年(嘉永6)本家相続により役を辞し,大学頭を名のり復斎と号した。翌54年に,全権の一人として日米和親条約に調印。57年(安政4)末には,ハリスの要求をいれて幕府がアメリカと通商条約締結の方針を決めたことを奏聞するため,目付津田正路とともに上京した。江戸時代の対外関係の記録を分類整理した《通航一覧》は,復斎が中心になり編集した書である。執筆者:小野 正雄 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林復斎」の解説 林復斎 はやし-ふくさい 1801*-1859 江戸時代後期の儒者。寛政12年12月27日生まれ。林述斎の4男。甥(おい)の林壮軒の病死で本家をつぎ,大学頭(だいがくのかみ)となる。嘉永(かえい)7年(1854)日米和親条約調印の際,井戸覚弘(さとひろ)らと全権をつとめた。安政6年9月17日死去。60歳。江戸出身。名は韑(あきら)。字(あざな)は弼中。通称は式部。別号に梧南,藕潢。著作に「御書籍来歴志」,編著に「通航一覧」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「林復斎」の解説 林復斎 (はやしふくさい) 生年月日:1800年12月27日江戸時代末期の儒学者1859年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by