20世紀日本人名事典 「林雲鳳」の解説 林 雲鳳ハヤシ ウンポウ 昭和期の日本画家 生年明治32(1899)年6月26日 没年平成1(1989)年6月5日 出身地岐阜県土岐郡笠原町 本名林 雄一 学歴〔年〕土岐郡立陶器学校卒 主な受賞名〔年〕勲五等瑞宝章〔昭和51年〕,紺綬褒章〔昭和55年〕,笠原町名誉町民〔昭和56年〕 経歴日本の伝統画・大和絵の数少ない継承者の一人。故・山口蓬春、橋本明治らとともに、歴史と古典の世界に画境を深めた。昭和7年帝展(現・日展)に初入選して以来、新文展を含めて連続10回入選。東京国立博物館の依頼で国宝「粉河寺縁起絵巻」などの模写も行った。戦時疎開で笠原町に帰り、町教育委員、多治見市古窯・文化財調査委員などを歴任して地域文化の振興に尽力。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林雲鳳」の解説 林雲鳳 はやし-うんぽう 1899-1989 昭和時代の日本画家。明治32年6月26日生まれ。名古屋で森村宜稲(ぎとう),東京で松岡映丘にまなぶ。昭和7年から帝展,文展に連続10回入選。戦後は郷里の岐阜県笠原町にかえり,歴史画をかいた。平成元年6月5日死去。89歳。本名は雄一。作品に「海の浄土」「熊谷直実」「多治見国長」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by