日本歴史地名大系 「枝川村」の解説
枝川村
えだかわむら
- 茨城県:勝田市
- 枝川村
那珂川の北岸に位置し、東は
「常陸大掾伝記」に「(前略)枝河、此レ等ハ馬場ノ名字也」とあり、鎌倉時代常陸大掾職を襲った馬場資幹の子時幹が地頭として土着し、枝川五郎を称しこの郷を支配したとされる。枝川氏系図(「勝田市史」所収)には江戸通房の子通弘は「枝川氏之祖彦四郎法名珊柄、枝川村住以地名為氏」とされ、通弘から三代後の重氏については「枝川播磨守又称江戸氏共、代々属シ江戸氏旗本タリ、野々上三十六騎旗頭也、天正十八年庚寅十二月佐竹義重之為没落」とある。
枝川村
えだがわむら
枝川村
えだがわむら
貞享元年(一六八四)の郷村帳に新田として高三一三・五石とある。同四年の検地帳によれば、垂柳村の支村とあり、村高一九九・三九六石、うち田方一七町二反六畝二三歩、一六九・〇六四石、畑方八町七畝五歩、三〇・三三二石とあり、ほかに川原五ヵ所七町一反九畝、空地六畝、永荒田一反五畝、稲荷社地一畝、屋敷六軒、百姓二七人とある。元禄三年(一六九〇)には田舎館組に属し、村位は上(平山日記)。享保年間(一七一六―三六)独立村となるという。明治初年の「新撰陸奥国誌」に家数四五、「口碑に元和中千葉相良と云るもの枝川六ケ村を併せ領せりと云伝ふ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報