柏原庄(読み)かしわばらのしよう

日本歴史地名大系 「柏原庄」の解説

柏原庄
かしわばらのしよう

現山東町東部および伊吹町村木むらぎ一帯に比定される山城醍醐寺円光えんこう院領庄園。応徳二年(一〇八五)五月八日の太政官牒案(醍醐雑事記)に「近江国字柏原庄」とみえ、白河天皇中宮賢子の御願寺として新造の醍醐寺新御願堂(円光院)に空地八一町三〇歩、百姓の地二町三段四〇歩、墾田二六町二五〇歩が寄進され、不輸租が認められている。その四至は東はたて(現長比山)・道、南は上野山、西は事岡(現伊吹町の琴丘神社付近)・沢、北は御厨川・吉備川に囲まれた地域。文治二年(一一八六)四月八日の醍醐寺文書目録(同書)および年月日未詳の開発以来領主記録(三宝院文書)によれば、延暦一二年(七九三)一一月二〇日に百済王家が当地の開発を認められ、同一四年二月二八日に百済真人永継から藤原都麿に寄進され、さらに太守親王家(清和天皇の子貞純親王)・上野守源頼盛(貞純の玄孫)へと伝領された。頼盛(柏原を号した)は庄務権を留保して賢子へ寄進、賢子より娘の子内親王(郁芳門院)へと譲られていた。天永二年(一一一一)以降年貢未進が続き、その未済額は三千余石に達していたといい、保安四年(一一二三)以降は庄務権をもつ頼経(頼盛の曾孫)が合文さえも提出しなかった。天承元年(一一三一)頼経に未進分のうち一千石を納入しない場合は庄務権を没収すると命じ(同年六月二一日「某御教書案」醍醐雑事記など)、同年検注を行い、柏原方の田一〇六町五反三五〇歩・畠三七町三反、大野木おおのぎ方の田五九町八反・畠三九町二反半の庄務権が寺家に付された(年月日未詳「円光院領目録」三宝院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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