柳本藩(読み)やなぎもとはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳本藩」の意味・わかりやすい解説

柳本藩
やなぎもとはん

大和(やまと)国式上(しきじょう)郡柳本村(天理市柳本町)に存した外様(とざま)藩。1615年(元和1)織田信長の実弟有楽斎長益(うらくさいながます)が所領を三分し、五男尚長(なおなが)に1万石(式上・山辺(やまべ)郡内)を与え、ここに陣屋を置かせたことに始まる。4代秀親(ひでちか)のとき京都火消役を勤め、1802年(享和2)には百姓一揆(ひゃくしょういっき)により苦しんだが、隣藩芝村(しばむら)藩(藩主織田長宇(ながのき))の仲裁によって事なきを得た。11代信陽(のぶあきら)は藩政改革に努め、綱紀粛正、財政再建などみるべき治績を残し、次の信成(のぶしげ)の代には崇神(すじん)天皇陵の治定に際し、周濠(しゅうごう)の修築と拡張を兼ね行い、柳本郷村の水利の不安を除いた。1868年(明治1)に信及(のぶもと)が後を継ぎ、69年6月版籍奉還を行うまで13代、255年を数えている。71年廃藩、柳本県、奈良県、堺(さかい)県、大阪府を経て、87年再設置の奈良県に編入された。旧藩庁の表向(おもてむき)御殿橿原(かしはら)神宮に移建され、文華殿と称し、奈良県文化財となっている。

[平井良朋]

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デジタル大辞泉プラス 「柳本藩」の解説

柳本藩

大和国、柳本(現:奈良県天理市)周辺を領有した外様の小藩。織田信長の弟、有楽斎長益(うらくさいながます)が5男の尚長に1万石を分知当地に陣屋を置かせて成立。以後幕末まで13代にわたり織田氏が藩主をつとめた。

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