柴原和(読み)シバハラ ヤワラ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「柴原和」の解説

柴原 和
シバハラ ヤワラ


肩書
元老院議官,貴院議員,地方官会議幹事

生年月日
天保3年2月7日(1832年)

出生地
播磨国龍野(兵庫県)

経歴
若くして江戸に出、大槻磐渓安井息軒に学び、また京都で梁川星巌などに師事。尊王倒幕の志を抱き、国事に奔走。安政6年から諸国を歴遊、一時脱藩し森田節斎の塾頭を務めた。のち帰藩して藩学の助教となり、元治元年頃から主に京にあって周旋し藩の方向を誤らせなかった。明治2年待詔院に出仕、以後甲府県大参事、岩鼻県大参事、宮谷県権知事を経て、4年木更津県権令となり、6年印旛県権令を兼任、同年両県合併により千葉県令に就任。地方民会の創設、教育・警察・地租改正などで治績をあげ、8年には地方官会議幹事を務めるなど、日本三県令の一人といわれ、12年元老院議官、21年山形県知事、のち香川県知事を歴任し、27年貴院議員となった。

没年月日
明治38年11月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柴原和」の解説

柴原和 しばはら-やわら

1832-1905 幕末-明治時代の武士,官僚
天保(てんぽう)3年2月7日生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)竜野(たつの)藩士。藩の文武稽古所学館寮の助教をつとめる。維新後,甲府県・岩鼻県大参事などをへて千葉県令となり,わが国初の県会を発足させた。のち元老院議官,山形・香川両県知事を歴任。貴族院議員。明治38年11月29日死去。74歳。字(あざな)は士節。通称宗吉,順治。号は靖廬。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

戒厳令

一般的には指定地域で、国の統治権の全部または一部を軍に移行し、市民の権利や自由を保障する法律の一部効力停止を宣告する命令。戦争や紛争、災害などで国の秩序や治安が極度に悪化した非常事態に発令され、日本...

戒厳令の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android