桂谷村(読み)かつらだにむら

日本歴史地名大系 「桂谷村」の解説

桂谷村
かつらだにむら

[現在地名]穴水町桂谷

はつヶ川水源地帯の山間にあり、北は大角間おおかくま村、西はなか村、南は越渡こえと村。天正一〇年(一五八二)前田利家の家臣知行地に「櫛比八ケ之内 山林竹木除之 かつら谷村」とみえ(門前町史)、寛永六年(一六二九)の本郷組二一ヵ村中に桂谷村が含まれていた(「稲葉左近・宮崎蔵人宛判書」能登志徴)正保郷帳では高九五石余、田方五町二反・畑方一町一反余。


桂谷村
かつらだにむら

[現在地名]加賀市桂谷町

山代やましろ村の南にあり、江沼えぬま丘陵の山間を北流する桂谷川沿いに集落を形成する。「朝倉始末記」には「葛谷」とみえる。正保郷帳によると高二八四石余、田方一三町五反余・畑方四町五反余、物成高一三一石余。「江沼志稿」でも村高はあまり変わらず、小物成は山役四三匁余と茶役、家数二一・人数八三、馬三。なお同書に道場の五郎兵衛なる者が大坂夏の陣のときの槍を所持するとあり、安政三年(一八五六)の江沼郡中高村名(加賀市史料)に五郎兵衛の道場は「福井興宗寺下」とされている。


桂谷村
かつらだにむら

[現在地名]小松市桂町かつらまち

滓上かすかみ川流域の山間部にあり、北西下流は岩淵いわぶち村・なか村。正保郷帳では高二〇七石余、田方六町三反余・畑方五町八反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高二一七石、免三ツ七分、小物成は山役七〇匁・川役三匁(三箇国高物成帳)。明治初年の本籍一八戸、人数男五〇・女四四、馬二、物産に実綿・麻・葉煙草・菜種・枚木・杪・繭・生糸がある(皇国地誌)


桂谷村
かつらだにむら

[現在地名]名立町桂谷

名立川中流左岸の曲流によって生じた氾濫原上にあり、北はもり村、南は平谷ひらたに村に続く。正保国絵図に積谷村とあるのが当村と思われ、延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では高一九石一斗余、同所改出高九斗余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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