桜井吏登(読み)サクライリトウ

デジタル大辞泉 「桜井吏登」の意味・読み・例文・類語

さくらい‐りとう〔さくらゐ‐〕【桜井吏登】

[1681~1755]江戸中期の俳人。江戸の人。服部嵐雪師事。名を残すことを好まず、晩年句稿を焼却したといわれる。

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精選版 日本国語大辞典 「桜井吏登」の意味・読み・例文・類語

さくらい‐りとう【桜井吏登】

  1. 江戸中期の俳人。別号李洞・人左など。江戸の人。服部嵐雪の高弟で、師の庵号を嗣ぎ二世雪中庵を称した。晩年、深川北島隠棲。名を残すことを好まず生涯の句稿などを焼きすてたと伝える。句集に「吏登句集」など。天和元~宝暦五年(一六八一‐一七五五

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桜井吏登」の解説

桜井吏登 さくらい-りとう

1681-1755 江戸時代中期の俳人。
天和(てんな)元年生まれ。江戸の人。姉は初代深川湖十の妻花千(かせん)。服部嵐雪(らんせつ)の門にまなび,享保(きょうほう)17年嵐雪の別号雪中庵をつぎ,2代となる。編著「ぬかぶくろ」などを刊行したが,病弱のため隠棲。晩年,ほとんどの句稿を焼却させたという。宝暦5年6月25日死去。75歳。別号に李洞,人左,斑象。

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