棚橋小虎(読み)タナハシ コトラ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「棚橋小虎」の解説

棚橋 小虎
タナハシ コトラ


肩書
元・衆院議員,元・参院議員

生年月日
明治22年1月14日

出生地
長野県東筑摩郡松本町(現・松本市)

学歴
東京帝大〔大正6年〕卒

経歴
大正6年友愛会に参加し、その一方で司法士となり友愛会本部に入る。7年日立争議で検挙され禁錮3カ月に処せられる。社会主義の理論家として活躍し、大原社会問題研究所の嘱託にもなる。12年ベルリン大学に入学し、その年入ソしプロフインテルン日本代表として出席。帰国後は日本労農党創立に参加し、以後中間派の代表として活躍し、州本町議を経て、昭和5年衆議院議員選に立候補するが落選する。16年松本市議となり、戦後社会党に入って参議院議員をつとめた。

没年月日
昭和48年2月20日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「棚橋小虎」の解説

棚橋 小虎
タナハシ コトラ

大正・昭和期の社会運動家 元・衆院議員;元・参院議員。



生年
明治22(1889)年1月14日

没年
昭和48(1973)年2月20日

出生地
長野県東筑摩郡松本町(現・松本市)

学歴〔年〕
東京帝大〔大正6年〕卒

経歴
大正6年友愛会に参加し、その一方で司法士となり友愛会本部に入る。7年日立争議で検挙され禁錮3カ月に処せられる。社会主義の理論家として活躍し、大原社会問題研究所の嘱託にもなる。12年ベルリン大学に入学し、その年入ソしプロフインテルン日本代表として出席。帰国後は日本労農党の創立に参加し、以後中間派の代表として活躍し、州本町議を経て、昭和5年衆議院議員選に立候補するが落選する。16年松本市議となり、戦後は社会党に入って参議院議員を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「棚橋小虎」の意味・わかりやすい解説

棚橋小虎 (たなはしことら)
生没年:1889-1973(明治22-昭和48)

社会運動家。長野県松本に生まれ,苦学して東京帝大を卒業し,1917年に友愛会入会,同会関東出張所主事となって足尾銅山日本電気日立鉱山などの争議を指導した。友愛会機関誌《労働》の21年1月号に〈労働組合へ帰れ〉を発表,当時労働運動の活動家をとらえていたサンディカリスム的な思想を批判した。26年には日本労農党結成に参加し,以後中間派系の運動の代表者として活躍した。敗戦後日本社会党結党に加わり衆議院議員,参議院議員を歴任したが,59年同党を離れて,翌60年に民主社会党設立に合流した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「棚橋小虎」の解説

棚橋小虎 たなはし-ことら

1889-1973 大正-昭和時代の社会運動家,政治家
明治22年1月14日生まれ。大正6年友愛会にはいる。15年日本労働組合同盟会長となり,また日本労農党の結成に参加。昭和21年社会党から衆議院議員,のち参議院議員(当選2回)。35年民社党結成に参加。昭和48年2月20日死去。84歳。長野県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「棚橋小虎」の解説

棚橋 小虎 (たなはし ことら)

生年月日:1889年1月14日
大正時代;昭和時代の社会運動家;政治家。参議院議員
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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