森万里子(読み)もりまりこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「森万里子」の意味・わかりやすい解説

森万里子
もりまりこ
(1967― )

美術家。東京都生まれ。文化服装学院(東京)でファッションを学んだ後、1988(昭和63)~89年(平成1)、ロンドンのバイアム・ショー・スクール・オブ・アート、89~92年、チェルシー・カレッジ・オブ・アートでファイン・アートを学ぶ。92~93年ホイットニー・アメリカ美術館インディペンデント・スタディ・プログラムに参加。92年よりニューヨークに住む。94~95年に制作された初期の写真作品は、森自身がさまざまなコスチュームで変装し、日本の都市の日常風景に登場するものであった。秋葉原の電気街でテレビ・ゲームのヒロインに扮してたたずむ『プレイ・ウィズ・ミー』(1994)、異星人をイメージした銀色のボディ・スーツにOL制服を着込み、オフィス街を行くビジネスマンにお茶をすすめる『ティー・セレモニーⅢ』(1994)など、日本に特有な社会的・文化的状況を取り上げ、サブカルチャー風俗、旧態依然とした慣習なかでの女性像を浮かび上がらせ、演劇的に誇張されたポップな表現のなかに批判性を重ねた。

 海外を拠点にする森が日本社会に向けた客観的な眼差しによって、ポップで寓話的に現実を描き出した作品は、96年以降伝統や宗教的要素を取り入れる方向へと変化を遂げる。ベネチアビエンナーレで発表された3D映像作品『ニルヴァーナ』(1997)では、仏教涅槃(ねはん)世界を、自ら天女に扮した姿とキッチュなCGイメージの融合によって視覚化した。『クマノ』(1997)では霊地、熊野を舞台に、巫女(みこ)のような姿に扮して演じ、作品はパフォーマンス、映像、音楽が一体となった多様な要素を備えてゆく。こうしたテクノロジーと日本的伝統の両要素を取り入れた作品は、国内よりもむしろ海外での評価が急速に高まり、国際的に発表の場を得て新世代の日本人美術家の代表的存在として注目を集めた。

 その後『ドリームテンプル』(1999)でさらにスケールアップする。同作は、奈良・法隆寺の夢殿に想を得て、この天平時代の建造物を、現代の瞑想空間として独自の解釈を加え甦らせたものである。白砂の上に建つ高さ5・2メートル、直径11メートルのガラス製の八角堂の内部に、人1人が入ることができる球体を設け、CG映像と音声システムに取り囲まれる体験型の大型作品となった。2003年には、3人が内部に入ることのできる巨大なメタリックの宇宙船のような作品『ウェイブUFO』が完成し、テクノロジーを駆使し、精神的、内省的な体験に鑑賞者を導く建築的な空間の創出に向かう姿勢がいっそう顕著になる。

 98年ロサンゼルス・カウンティ美術館、シカゴ現代美術館、99年ブルックリン美術館、プラダ美術館(ミラノ)、2000年ポンピドー・センター、02年東京都現代美術館など国内外で個展を開催。ハイテクによる物質世界と東洋の精神性の融合を試みながら、スケールの大きな独自の作品世界を展開する。

[神谷幸江]

『中沢新一著『女は存在しない』(1999・せりか書房)』『「第4回海外新進日本人作家紹介展 MARIKO MORI MADE IN JAPAN」(カタログ。1995・資生堂ギャラリー)』『「TOKYO POP 新しい美術のイメージ」(カタログ。1996・平塚市美術館)』『「ヒニクなファンタジー――現代5人の想像世界」(カタログ。1996・宮城県美術館)』『「森万里子 ピュアランド」(カタログ。2002・東京都現代美術館)』『Mariko Mori; Dream Temple (catalog, 1999, Fondazione Prada, Milano)』

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