日本歴史地名大系 「森岡村」の解説 森岡村もりおかむら 鳥取県:境港市森岡村[現在地名]境港市森岡町渡(わたり)村の東に位置。もと同村の新田で渡新田村と称したが、享保一六年(一七三一)に森岡村と改めたとされる(同一九年鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」)。また正徳年中(一七一一―一六)渡村の木下某の開発により、享保四年に森岡村と命名されたとも伝える(伯耆志)。地勢は砂地で平坦。地名の由来は、南北に延びる砂丘列の上に形成された松林帯から起こるとする説がある(境港市史)。地理的に南側の東森岡(東曾根)と北側の西森岡(西曾根)とに分れる。集落の中央を南北に小路が通り、東外江(ひがしとのえ)村清水(しみず)の地で内浜境(うちはまさかい)往来につながっている。 森岡村もりおかむら 静岡県:磐田郡豊田町森岡村[現在地名]豊田町森岡天竜川下流左岸、上新屋(かみあらや)村の東にあり、東端を前野(まえの)用水、西側を森岡川が南流する。東西に本坂通が通る。古くは禰宜新屋(ねぎあらや)村と称した(元禄郷帳)。正保郷帳に禰宜新屋村とみえ、幕府領、田方七六石余・畑方一九石余、正月寺領二石・水神領二石。元禄郷帳では森岡村高一二七石余。 森岡村もりおかむら 和歌山県:御坊市森岡村[現在地名]御坊市塩屋(しおや)町南塩屋(みなみしおや)南塩屋浦の東部にある枝郷。慶長(一五九六―一六一五)以後分村。延宝六年(一六七八)の「日高鑑」に南塩屋の森岡分として、村高三三八石余(うち四五石余は加子役)、家数二四で内訳は本役一四・無役六・庄屋一・年寄二・ありき一、人数一三二、牛一四、馬六、池五、御蔵一、加子米一石五斗余とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by