植木等(読み)ウエキヒトシ

デジタル大辞泉 「植木等」の意味・読み・例文・類語

うえき‐ひとし〔うゑき‐〕【植木等】

[1927~2007]俳優・歌手・コメディアン愛知の生まれ。昭和32年(1957)コミックバンド「ハナはじめクレージーキャッツ」に参加。テレビ番組「シャボン玉ホリデー」や映画「ニッポン無責任時代」などに出演し人気を集める。また、青島幸男作詞の「スーダラ節」「ドント節」「無責任一代男」「ハイそれまでヨ」など、多くコミックソングヒットさせた。平成5年(1993)紫綬褒章受章。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「植木等」の解説

植木 等
ウエキ ヒトシ


職業
俳優 歌手

グループ名
グループ名=クレージーキャッツ

生年月日
昭和1年 12月25日

出生地
愛知県 名古屋市

出身地
三重県 多気郡宮川村(大台町)

学歴
東洋大学文学部〔昭和25年〕卒

経歴
昭和元年12月25日、昭和最初の日に生まれる(戸籍上は昭和2年2月25日生まれ)。父は社会運動や部落解放運動に挺身した浄土真宗の僧侶・植木徹誠で、人間平等から“等”と名付けられた。11歳で僧侶修業のため単身上京、京北中学、東洋大学に学び、20年北海道で終戦を迎えた。次兄が病死、長兄も戦死して寺を継ぐ身であったが、大学時代から熱中した音楽が捨てきれずジャズバンドで活動、ギタリストとして萩原哲晶とデューク・オクテット、27年植木等とニュー・サウンズ、29年フランキー堺とシティ・スリッカーズを経て、32年ハナ肇率いるクレージー・キャッツに参加。メンバーはリーダーでドラムスのハナ、ボーカルとギターの植木の他、トロンボーン谷啓、ベースの犬塚弘、テナーサックスの安田伸、ピアノの石橋エータローで、石橋の入院により同じくピアノの桜井センリが加入した。ジャズメン仲間だった渡辺晋が設立したマネジメント会社・渡辺プロダクションに入り、娯楽の主役がテレビに移行する中でジャズメンからテレビタレントへと転身。34年テレビ初レギュラーとなったフジテレビのコント番組「おとなの漫画」でコミックバンドとして注目を集め、同番組で放送作家の青島幸男と出会う。36年からは日本テレビの歌謡バラエティ「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演、音楽とギャグが同居したナンセンスでスピード感のある笑いは、それまでの落語や漫才、藤山寛美に代表される人情喜劇とは対照的で、日本人の笑いに革命をもたらし、植木の“お呼びでない、こりゃまた失礼致しました”“ハイそれまでョ”、谷の“ガチョーン”“ビローン”といったギャグは一世を風靡した。同年青島が作詞、萩原が作曲を手がけ、サラリーマンの悲哀を笑い飛ばした「スーダラ節」を発売、流行語にもなった“わかっちゃいるけど、やめられない”という歌詞、植木の明るく伸びやかな歌声と“無責任”なキャラクターが、高度経済成長を背景に“昭和元禄”と呼ばれた世相とうまくマッチして爆発的なヒットとなる。いい加減で調子と要領は抜群によく、スイスイと世の中を渡っていく無責任男を演じながらも、実生活では生真面目な人柄で、最初に「スーダラ節」の楽譜を渡された際は“こんなくだらない歌は歌いたくない”と悩むが、父から“わかっちゃいるけど、やめられないは親鸞の教えに通じる”と諭され、歌うことを決意したとされるエピソードは有名。37年には映画「ニッポン無責任時代」に主演してこちらも大ヒット。以後、“サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ”で始まる「ドント節」をはじめ、「五万節」「無責任一代男」「ハイそれまでョ」「これが男の生きる道」「ホンダラ行進曲」「だまって俺について来い」「ゴマスリ行進曲」「シビレ節」などのコミックソングも次々とヒットし、映画「クレージー作戦・先手必勝」「クレージー作戦・くたばれ!無責任」などの〈無責任〉シリーズや「日本一の色男」「日本一のゴリガン男」などの〈日本一〉シリーズでも一時代を築き、クレージーの顔として、高度成長期を代表するコメディアンとなった。クレージーは46年石橋が退団すると次第に個人活動に重心を移し、実質的な解散状態となった。その後は映画や舞台、テレビで渋い脇役として活躍、61年には木下恵介監督の映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。平成2年クレージーキャッツの名曲をメドレーにした「スーダラ伝説」で再び脚光を浴び、NHK「紅白歌合戦」にも出演した。3年にはトーク番組「植木等デラックス」でホスト役を務め、4年初の全国ツアーを行った。5年紫綬褒章、11年勲四等旭日小綬章を受章。晩年は肺気腫を患いながら芸能活動を続け、19年の映画「舞妓Haaaan!!!」への出演が遺作となった。他の出演作に映画「逆噴射家族」「乱」「刑事物語 くろしおの詩」「塀の中の懲りない面々」、テレビ「ザ・ハングマン」「オヨビでない奴!」「名古屋嫁入り物語」「南町奉行捕物帖 怒れ!求馬」「甘辛しゃん」などがある。昭和59年尊敬していた父の一代記「夢を食いつづけた男」を出版した。

受賞
紫綬褒章〔平成5年〕,勲四等旭日小綬章〔平成11年〕 ブルーリボン賞大衆賞(昭40年度),くまもと映画祭特別功労賞〔昭和60年〕,キネマ旬報賞助演男優賞(昭61年度)「新・喜びも悲しみも幾歳月」,日本アカデミー賞助演男優賞(第10回 昭61年度)〔昭和62年〕「祝辞」「新・喜びも悲しみも幾歳月」,東海テレビ芸能選奨(第2回)〔平成2年〕,ゴールデンアロー賞話題賞〔平成3年〕,日本歌謡大賞特別賞(第22回)〔平成3年〕,日本レコード大賞優秀アルバム賞(歌謡曲・演歌部門 第33回)〔平成3年〕「スーダラ伝説」,日刊スポーツ映画大賞助演男優賞(第8回)〔平成7年〕「あした」,日本レコード大賞特別功労賞(第49回)〔平成19年〕,ブルーリボン賞特別賞(第50回 平19年度) 毎日映画コンクール助演男優賞(昭61年度)「新・喜びも悲しみも幾歳月」

没年月日
平成19年 3月27日 (2007年)

家族
父=植木 徹誠(僧侶),長男=比呂 公一(作曲家),娘=植木 裕子(バレリーナ)

伝記
植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」戦後の巨星 二十四の物語喜劇人に花束をクレージーキャッツ 55〜90植木等のみなさんおそろいで植木等と藤山寛美―喜劇人とその時代大歌謡論 戸井 十月 著本田 靖春 著小林 信彦 著植木等デラックス 編小林 信彦 著平岡 正明 著(発行元 小学館講談社新潮社アドリブファンハウス,扶桑社〔発売〕新潮社筑摩書房 ’07’06’96’93’92’92’89発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

百科事典マイペディア 「植木等」の意味・わかりやすい解説

植木等【うえきひとし】

俳優・コメディアン・歌手。愛知県出身。東洋大学卒業。コミック・バンドの〈ハナ肇とクレージー・キャッツ〉のメンバーで,テレビのコント番組《おとなの漫画》,バラエティー《シャボン玉ホリデー》,映画の《無責任》シリーズなどで底抜けに明るい笑いを提供した。歌手としては《スーダラ節》《ハイそれまでョ》《ホンダラ行進曲》などをヒットさせた。〈わかっちゃいるけどやめられない〉〈お呼びでない〉〈無責任〉などの流行語を残し,映画《新・喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)》などでは演技派俳優として活躍した。なお,映画の〈無責任男〉は植木の代名詞となっているが,本来は住職だった父親に似て生真面目な性格だったという。→谷啓

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「植木等」の解説

植木等 うえき-ひとし

1927-2007 昭和後期-平成時代のタレント,俳優。
昭和2年2月25日生まれ。昭和32年ハナ肇のクレージーキャッツに参加。テレビ「シャボン玉ホリデー」や歌「スーダラ節」のヒット,映画「ニッポン無責任時代」で新タイプのコメディアンとして人気をあつめた。61年の映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」などで脇役を好演(日本アカデミー賞最優秀助演男優賞)。平成19年3月27日死去。80歳。三重県出身。東洋大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「植木等」の解説

植木 等 (うえき ひとし)

生年月日:1926年12月25日
昭和時代;平成時代の俳優;歌手
2007年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android