植田敏郎(読み)ウエダ トシロウ

20世紀日本人名事典 「植田敏郎」の解説

植田 敏郎
ウエダ トシロウ

昭和・平成期のドイツ文学者 東北歯科大学名誉教授



生年
明治41(1908)年1月17日

没年
平成4(1992)年10月21日

出生地
広島市

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部独文科〔昭和6年〕卒,ウィーン大学ドイツ文学科〔昭和10年〕博士課程修了

学位〔年〕
Ph.D.(ウィーン大)〔昭和10年〕

主な受賞名〔年〕
サンケイ児童文学佳作賞〔昭和47年〕,翻訳文化賞〔昭和48年〕「クリュス選集」,日本翻訳家協会賞〔昭和49年〕,日本児童文学学会賞(第16回)〔平成4年〕「巌谷小波とドイツ文学―『お伽話』の源」

経歴
昭和6〜11年欧州に留学、ベルリン大学、ボン大学、ウィーン大学で学ぶ。のち学習院大学教授、一橋大学教授、東北歯科大学教授などを歴任。平成元年退任。ゲーテ時代のドイツ文学を主な研究対象に、ヘルダーの「神についての対話」など数十冊の翻訳も。著書に「宮沢賢治とドイツ文学」「巌谷小波とドイツ文学」、翻訳にトーマス=マン「トーニオ・クレーガー」、ケストナー「飛ぶ教室スピリアルプスの山の少女」「グリム童話集」など多数。またビール党で知られ、41年から毎週金曜に新橋ビヤホールミュンヘン」で歓談する「金曜会」を主宰し、「ビール巡礼」などの著書もある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「植田敏郎」の解説

植田敏郎 うえだ-としろう

1908-1992 昭和-平成時代のドイツ文学者。
明治41年1月17日生まれ。東京外大,一橋大などの教授を歴任。近代文学,児童文学の翻訳・紹介につとめ,昭和48年「クリュス選集」で翻訳文化賞をうけた。平成4年10月21日死去。84歳。広島県出身。東京帝大卒。訳書はほかにトーマス=マン「トーニオ・クレーガー」,ケストナー「飛ぶ教室」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「植田敏郎」の解説

植田 敏郎 (うえだ としろう)

生年月日:1908年1月17日
昭和時代;平成時代のドイツ文学者。学習院大学教授;一橋大学教授
1992年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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