翻訳|beer hall
ビールを中心に,飲食を提供する店。イギリスにおける〈ビール・ハウスbeer house〉は,いわゆるパブのうちで,1830年のビール法によるビール販売の自由化で出現したビールのみを供する店を指す。13世紀にすでに酒食を供するタバーンがあったが,エールやビールと食事を出すエール・ハウス,ビール・ハウスは都市化の産物であった。いずれにしても上流階級の飲物であるワインに対して,庶民の安直な飲物であった。
ドイツでもビールは元来家庭の飲物で,上流階級はワイン酒場にしか行かなかった。大きな変化が生じたのは19世紀になってからで,大醸造業者経営の壮大なビール・レストラン(ビーアハレ,ビヤホール)が出現し,バイエルン風のいわゆるミュンヘン・ビールが北ドイツにも普及した。〈十月祭〉というビール祭りが名物となっているミュンヘンには,伝説的に有名なホーフブロイハウスHofbräuhausや世界一客席の多いマテーザー・ビーアシュタットがある。公園や郊外にもビヤガーデンが出現し,ドイツは昔ながらの居酒屋スタイルをしのぐビヤホール時代に入った。同時にそうしたビヤホールはさまざまな常連のたむろする場所として,政治的・社会的な会合の場所ともなった。ホーフブロイハウスがナチスの集会所となったのは有名である。ビヤホールの別室が各派の作戦本部ともなった。
日本では1899年東京新橋に,喫茶店よりも早くビヤホールが出現し,東京の銀座ビヤホールなどはのちのカフェの役割を果たしたが,政治的な役割はなかった。
執筆者:平井 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生ビールと主として洋風の料理を供する大衆的飲食店。歴史は古く、紀元前18世紀、古代バビロニアのハムラビ法典に、代金を銀で受け取ったビール酒場の女は罰せられるなどの条項がある。ドイツ・ミュンヘンのビヤハウスは16世紀にさかのぼる歴史をもつ。日本のビヤホールの始まりは、アメリカ人ウィリアム・コープランドWilliam Copeland(1832―1902)が1879年(明治12)ごろ横浜・山手に開いた外国船員対象のビヤガーデン、95年4月大阪麦酒(ビール)と丸三ビールが京都の内国勧業博覧会会場に設けた茶店、同年夏大阪麦酒が大阪・中之島で開催したビール会など諸説があるが、一般には99年8月4日、日本麦酒が東京市京橋区南金六町五(現在の銀座八丁目9)に開店した恵比寿(えびす)ビヤホールとされる。売価は大コップ(1リットル)20銭、中コップ(半リットル)10銭、小コップ(4分の1リットル)5銭で大繁盛した。
ビヤホールは和製英語で、開店直前、あるイギリス人の提案で、ビヤルーム、ビヤバー、ビヤサロンなどの候補を抑えて決まったといい、ミルクホール、正宗(まさむね)ホール、金つばホールなど類似呼称が流行した。このあと各社が相次いでビヤホールを開設、第二次世界大戦の一時期を除いて隆盛が続いている。また夏だけビル屋上などを利用するビヤガーデンは、1953年(昭和28)大阪で生まれ、全国に広がったといわれる。
[森脇逸男]
『稲垣真美著『日本のビール』(中公新書)』
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