日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビヤホール」の意味・わかりやすい解説
ビヤホール
びやほーる
beer hall
生ビールと主として洋風の料理を供する大衆的飲食店。歴史は古く、紀元前18世紀、古代バビロニアのハムラビ法典に、代金を銀で受け取ったビール酒場の女は罰せられるなどの条項がある。ドイツ・ミュンヘンのビヤハウスは16世紀にさかのぼる歴史をもつ。日本のビヤホールの始まりは、アメリカ人ウィリアム・コープランドWilliam Copeland(1832―1902)が1879年(明治12)ごろ横浜・山手に開いた外国船員対象のビヤガーデン、95年4月大阪麦酒(ビール)と丸三ビールが京都の内国勧業博覧会会場に設けた茶店、同年夏大阪麦酒が大阪・中之島で開催したビール会など諸説があるが、一般には99年8月4日、日本麦酒が東京市京橋区南金六町五(現在の銀座八丁目9)に開店した恵比寿(えびす)ビヤホールとされる。売価は大コップ(1リットル)20銭、中コップ(半リットル)10銭、小コップ(4分の1リットル)5銭で大繁盛した。
ビヤホールは和製英語で、開店直前、あるイギリス人の提案で、ビヤルーム、ビヤバー、ビヤサロンなどの候補を抑えて決まったといい、ミルクホール、正宗(まさむね)ホール、金つばホールなど類似呼称が流行した。このあと各社が相次いでビヤホールを開設、第二次世界大戦の一時期を除いて隆盛が続いている。また夏だけビル屋上などを利用するビヤガーデンは、1953年(昭和28)大阪で生まれ、全国に広がったといわれる。
[森脇逸男]
『稲垣真美著『日本のビール』(中公新書)』