小説家。東京生まれ。6歳のころ、公認会計士であった父親の仕事の関係で千葉県幕張(まくはり)に転居。市立千葉高校に入学、同級生となった沢野ひとし(イラストレーター、1944― )と親交を深める。また沢野の中学時代からの友人である木村晋介(しんすけ)(弁護士、1945― )とも出会い、以後3人のつきあいは現在にまで至る。1964年(昭和39)、東京写真大学(現、東京工芸大学)に入学するが、翌年2月事故にあい重傷を負う。やむなく大学を中退し、アルバイトをしながら演劇学校に通い、脚本の勉強を始める。このころ、江戸川区小岩(こいわ)の克美荘で沢野、木村らとともに共同生活に入る。1969年、流通業界誌を創刊、編集長に就任。1976年、沢野や評論家目黒考二(こうじ)(1946―2023)らと『本の雑誌』を創刊。同誌への執筆が実質的な作家活動の出発点となる。1979年『本の雑誌』に掲載されたエッセイをまとめた『さらば国分寺書店のオババ』がベストセラーとなり、椎名誠の名は一躍メジャーとなる。椎名の文章は行間を読ませるという手法ではなく、感情の動きやそれに伴う行動をすべて説明し、読者に想像の余地を与えない、ある意味で過剰な文体である。
そうした独特の語り口が若者の感覚にマッチし、しかも身近な話題で社会風俗をとらえるのである。つまり、椎名誠の文章はよい意味において一から十までを説明してくれるので、読者は作者への感情移入が容易になるというわけである。この、名づけて「スーパーエッセイ」は『気分はだぼだぼソース』(1980)、『かつをぶしの時代なのだ』『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵(みそぐら)』(1981)と続き、克美荘時代の生活を描いた半自伝的エッセイ『哀愁の町に霧が降るのだ』上中下(1981~1982)で頂点に達する。
1981年春、業界誌発行会社を退社してからはしだいに小説の分野へ重心を移していく。「明るい私小説」と銘打った『岳物語』(1985)、『菜の花物語』(1987)、『犬の系譜』(1988。吉川英治文学新人賞)、『白い手』(1989)、『はるさきのへび』(1994)、自身の青春時代を描いた『新橋(しんばし)烏森(からすもり)口青春篇』(1987)、『銀座のカラス』(1991)、さらには少年時代から好きだったSFを意識した『アド・バード』(日本SF大賞受賞)、『水域』『武装島田倉庫』(いずれも1990)などを次々と発表していく。そのかたわら『わしらは怪しい探検隊』(1980)をはじめとする数多くのルポルタージュも同時進行で続ける精力的な活動はいまも変わらない。しかしその後発表された『飛ぶ男、噛(か)む女』(2001)を読むと、幻想的な作風に変化してきている。いまだ椎名誠は進化し続けているということであろう。
[関口苑生]
『『飛ぶ男、噛む女』(2001・新潮社)』▽『『さらば国分寺書店のオババ』『気分はだぼだぼソース』『哀愁の町に霧が降るのだ』『新橋烏森口青春篇』『武装島田倉庫』『銀座のカラス』(新潮文庫)』▽『『かつをぶしの時代なのだ』『岳物語』『菜の花物語』『白い手』『アド・バード』『はるさきのへび』(集英社文庫)』▽『『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』『わしらは怪しい探検隊』(角川文庫)』▽『『犬の系譜』『水域』(講談社文庫)』▽『『椎名誠の増刊号』(1992・『小説新潮』臨時増刊)』
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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