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椎本才麿 しいのもと さいまろ

美術人名辞典の解説

椎本才麿

旧徳。大和宇陀の人。谷氏西丸・松笠軒。江戸後大阪天満に住。西鶴門。元文3年(1738)歿、83才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

椎本才麿 しいもと-さいまろ

しいのもと-さいまろ

椎本才麿 しいのもと-さいまろ

1656-1738 江戸時代前期-中期の俳人。
明暦2年生まれ。山本西武(さいむ),井原西鶴(さいかく)にまなび,のち西山宗因直弟子となる。江戸で芭蕉(ばしょう)一門とまじわり,元禄(げんろく)2年(1689)以降は大坂俳壇の中心となり,吉田了雨らをそだてた。元文3年1月2日死去。83歳。大和(奈良県)出身。本姓は谷。通称は八郎右衛門。別号に則武,西丸,才丸など。撰集に「坂東太郎」「千葉集」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

椎本才麿

没年:元文3.1.2(1738.2.20)
生年:明暦2(1656)
江戸前・中期の俳人。大和国(奈良県)宇陀郡の人。本姓は谷氏。通称,八郎右衛門。初号則武。別号,西丸,才丸など。初め山本西武門,のちに井原西鶴門。延宝5(1677)年ごろ東下,同7年,『坂東太郎』を上梓,松尾芭蕉らと共に新風を推進した。元禄2(1689)年,大坂に移住し,小西来山の後ろ楯で大坂俳壇に地歩を固める。やがて同俳壇の中心人物となり,吉田了雨ら多くの門人を輩出,その勢力は近世後期にまでおよんでいる。代表句「笹折て白魚のたえだえ青し」など。<参考文献>鈴木重雅「才麿」(明治書院『俳句講座』2巻)

(加藤定彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

しいがもとさいまろ【椎本才麿】

1656~1738) 江戸前・中期の俳人。本名、谷八郎右衛門。大和国宇陀の人。西武門、のち西鶴門。青年期に江戸で芭蕉らと親交、のち大坂俳壇の中心となる。著「椎の葉」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

椎本才麿
しいがもとさいまろ

[生]明暦2(1656).大和,宇陀
[没]元文3(1738).1.2. 大坂
江戸時代中期の俳人。本姓,谷。一時,佐々木氏。通称,八郎右衛門。別号,則武,西丸,才丸,旧徳,松笠軒,一切経堂,春理斎,狂六堂。初め山本西武門,のち井原西鶴門。西山宗因にも師事。江戸に出て談林派の頭目として活躍し,のち大坂に住む。作風は感覚豊かで蕉風に近いものがある。編著『坂東太郎』 (1679) ,『椎の葉』 (92) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

椎本才麿
しいもとさいまろ

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世界大百科事典内の椎本才麿の言及

【才麿】より

…江戸前期の俳人。別号才丸,晩年は旧徳。本姓は谷。大和国宇陀の人。宇多(宇陀)家の家老佐々木氏(別称生駒氏)の養子となったが,事情により浪人。和州椎名津彦にちなんで椎本氏を称した。通称八郎右衛門。初め西武(さいむ)門。浪人の後,一時仏門に帰依したが,1673年(延宝1)ころまでに西鶴に師事。77年ころ東下して調和,言水(ごんすい)らと交わり,79年には《誹諧坂東太郎》を編んだ。その後,芭蕉や蕉門の人々と親しくなり,新風の推進者の一人となった。…

※「椎本才麿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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