山本西武(読み)やまもとさいむ

精選版 日本国語大辞典 「山本西武」の意味・読み・例文・類語

やまもと‐さいむ【山本西武】

  1. 江戸初期の俳人通称九郎左衛門本名西武(にしたけ)貞門七俳仙一人。年少から松永貞徳俳諧を学ぶ。著「鷹筑波」「久流留」「沙金袋(さきんぶくろ)」など。慶長一五年(一六一〇)生、没年未詳。

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朝日日本歴史人物事典 「山本西武」の解説

山本西武

没年:天和2.3.12(1682.4.19)
生年:慶長15(1610)
江戸前期の俳人。俗称,綿屋九郎左衛門。本名の西武を,剃髪後音読し俳号・法名とした。別号,無外軒,風外軒,無外斎。京都の人。綿屋を営む。貞門七俳仙のひとり。7歳で松永貞徳の私塾に入り,11歳で俳諧を始めた。貞徳に可愛がられ,20歳のとき,俳諧史上,正式の会の初めであるとされる京都妙満寺の俳席で,亭主を務めたと伝えられる。多くの秘伝書を伝授され,貞門第2の選集『鷹筑波』(1642),式目書『久流留』(1650)を編んだ。貞徳没後はその正統継承者の地位安原貞室と争った。

(加藤定彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本西武」の解説

山本西武 やまもと-さいむ

1610-1682 江戸時代前期の俳人。
慶長15年生まれ。京都の人。7歳で松永貞徳に入門。「鷹筑波(たかつくば)集」の編集をまかされ,式目書「久流留(くるる)」をあらわす。師の没後は安原貞室と後継をあらそった。天和(てんな)2年3月12日死去。73歳。名は西武(にしたけ)。通称は綿屋九郎左衛門。
格言など】夜の明て花にひらくや浄土門(辞世)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山本西武」の意味・わかりやすい解説

山本西武
やまもとさいむ

江戸時代前期の俳人。通称,九郎左衛門。別号,無外軒,風外軒,風外斎。松永貞徳の愛弟子で,『鷹筑波集』 (1638) ,『久流留』 (50) の編纂を命じられ,師没後『沙金袋』 (57) ,『沙金袋後集』 (75) などを編んだ。天和 (81~84) 頃七十余歳で没か。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山本西武」の意味・わかりやすい解説

山本西武
やまもとさいむ

西武

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世界大百科事典(旧版)内の山本西武の言及

【西武】より

…江戸前期の俳人。姓は山本,通称は九郎左衛門,本名は西武(にしたけ)。剃髪後本名を音読して俳号とした。別号は無外軒,風外軒,風外斎。京都の人。家業は綿屋。幼少のころから貞徳に師事,1636年(寛永13)俳諧の口伝を受けたのをはじめ,貞徳直門の撰集《鷹筑波集(たかつくばしゆう)》(1642)や,式目書《久流留(くるる)》(1650)の編著を命じられるなど貞徳の信頼あつく,みずからも独吟万句《ツイスヘ子》(1652成立),発句集《沙金袋(さきんぶくろ)》(1657)等を著して,貞門七俳仙の一人にかぞえられた。…

※「山本西武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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