江戸前期の俳人。別号才丸,晩年は旧徳。本姓は谷。大和国宇陀の人。宇多(宇陀)家の家老佐々木氏(別称生駒氏)の養子となったが,事情により浪人。和州椎名津彦にちなんで椎本氏を称した。通称八郎右衛門。初め西武(さいむ)門。浪人の後,一時仏門に帰依したが,1673年(延宝1)ころまでに西鶴に師事。77年ころ東下して調和,言水(ごんすい)らと交わり,79年には《誹諧坂東太郎》を編んだ。その後,芭蕉や蕉門の人々と親しくなり,新風の推進者の一人となった。89年(元禄2)7月と9月に伊勢参宮,芭蕉,信徳らと会った後,京の言水亭に立ち寄って,冬に大坂に移住,以後ここを本拠地として大いに門戸を張った。92-93年に山陽筋から四国を行脚。また,1705年(宝永2),16-17年(享保1-2)の2度にわたって江戸に赴いている。元文3年正月2日没。大坂の芳室がその門を継いだ。編著は他に《千葉集》(1718跋)などがある。〈笹折て白魚のたえだえ青し〉(《東日記》)。
執筆者:桜井 武次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸前期の俳人。椎本(しいもと)氏。本姓は谷。大和(やまと)国(奈良県)宇陀(うだ)の人。宇陀藩家老佐々木主水(もんど)の養子となったが落度があり浪人。初め則武と号し西武(さいむ)門。のち西鶴(さいかく)門。西丸、才丸と号す。1677年(延宝5)ごろ東下し、調和、言水(ごんすい)らと接触し、79年、俳諧撰集(はいかいせんしゅう)『坂東太郎(ばんどうたろう)』を出版のころから芭蕉(ばしょう)一派と親交を結ぶ。89年(元禄2)冬、大坂に移住。92~93年の山陽、四国筋の旅行を経て大坂俳壇の中心人物となる。元禄(げんろく)(1688~1704)末以後も数度江戸に下り、江戸・大坂の俳壇を結ぶうえでも大きな功績があった。
[櫻井武次郎]
笹折(ささをり)て白魚のたえだえ青し
『荻野清編『元禄名家句集』(1954・創元社)』
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