椚山村(読み)くぬぎやまむら

日本歴史地名大系 「椚山村」の解説

椚山村
くぬぎやまむら

[現在地名]大玉村大山おおやま

上大江かみだいえ村・下大江村・大江新田村北方苗松なえまつ山のほとりを流れる杉田すぎた川沿いに位置し、北は箕輪みのわ(現二本松市)。「相生集」は村名の由来を「山山に椚の木多かりしらん」と記す。中世の椚山館跡がある。畠山家臣弾正少弼入道信常の居館であったが、天正一四年(一五八六)伊達政宗に落されたと伝える。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に椚山とみえ、高七六五石余、町濃弥五郎の知行地。元禄一一年(一六九八)の椚山村本新田惣高帳(大玉村史)によると農家戸数一三八。これを持高別にみると、一〇石以下が六四、一〇石から二〇石まで四七、二〇石以上は二七。これらの農民層のうちには、持高が多いのに作高が無高になっている者もおり、独り暮しの老人や病人、未成年に多くみられる。


椚山村
くぬぎやまむら

[現在地名]船引町椚山

今泉いまいずみ村の南、片曾根かたそね山の南東麓丘陵に立地。中世は田村たむら庄のうち。永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢(青山文書)に「一町 八百文 くぬき山」とみえ、紀州熊野新宮に年貢を納めている。天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(同文書)には「八段 六百二三文 くぬき山」とある。当地は享禄二年(一五二九)頃、長谷川・吉田・佐藤・村上・新田・安司・鈴木・遠藤の八氏が開発、のち吉田氏が椚山姓を名乗り、椚山館に拠ったという(椚山家文書)


椚山村
くぬぎやまむら

[現在地名]入善町椚山

黒部川扇状地の扇央部東寄りにあり、北は椚山新村君島きみじま村、東は荒又あらまた村、西は入膳にゆうぜん村、南は青島あおしま村。正保郷帳では高四〇八石余、田方二四町五反余・畑方二町七反、新田高一七九石余とある。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高八四一石、免四ツ六歩、小物成は野役四七匁・鮎川役三匁・鱒役一匁(三箇国高物成帳)。文政八年(一八二五)の村々高免等書上(奥野家文書)では草高八四一石余で、定免は四ツ二歩であるが、「内五歩享保一六年より無年限引免、三ツ七歩収納免」と注記され、家数七〇。文政一〇年の新川郡家数等書上(柏原家文書)では百姓家数八六(うち紺屋一・豆腐屋一・大工二・木挽二)、頭振家数一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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