間竿(けんざお)ともいう。太閤検地以来,検地の際に使用された測量用具で,検地のことを竿入・竿打などともいった。太閤検地では基準となるべき曲尺1尺(約30.3cm)の検地尺をもとに作製された6尺3寸(約190.9cm)=1間の竿を用いた。江戸幕府は6尺(約181.8cm)を1間としたが,実際には1間につき1分(約0.3cm)の砂摺りを加えた6尺1分(約182.1cm)の一間竿と1丈2尺2分(約364cm)の二間竿との2種が使用された。砂摺りは竿を使用しているうちに竿の両端が磨耗することをみこんでつけられたものであるが,やがて6尺1分を1間とする慣行になったらしい。検地竿は煤竹(すすたけ)で作られ,両端を銅で包んで損傷を防ぎ,1尺ごとに墨で目盛が施されていた。間竿を補うものとして6寸(約18.2cm)ごとに目盛のついた3尺(約90.9cm)または3尺6寸(約109.1cm)の尺杖(しやくづえ)があり,間数の端尺を切るのに用いた。間竿の代用に管縄を使うこともあった。
執筆者:松尾 寿
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… 寛文・延宝検地は,関東では1668年(寛文8)と78年(延宝6)とを中心にして実施され,畿内では1676‐78年ころに実施されている。寛文・延宝検地では,検地竿を短縮し(古検6尺3寸竿から6尺1寸竿へ),新規竿入れ処の基準を厳しくし,測量方法の厳密化をはかったが,畿内では検地による出高や新開高が意外に少量である。たとえば河内国丹北郡更池(さらいけ)村では,出高27石4斗余,新開高1石1斗弱,計28石4斗8升6合(村高の17.4%)である。…
…それゆえ,彼らは検地反対一揆を起こして実力で領主に対抗することもあった。
[施行原則]
太閤検地の施行の際には,6尺3寸=1間の検地竿を用い,1間四方を1歩,300歩=10畝を1反,10反を1町として土地を丈量した。曲尺(かねじやく)の1尺の実際の長さを表示した検地尺も残されている。…
※「検地竿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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