日本大百科全書(ニッポニカ) 「椿昇」の意味・わかりやすい解説
椿昇
つばきのぼる
(1953― )
美術家。京都市生まれ。1972年(昭和47)京都市立芸術大学美術学部西洋画科入学、1976年卒業、1978年同大学院美術専攻科西洋画科修了。同年4月から神戸の中高一貫の私立女子校、松蔭学園の美術教師となり24年間教員を務めた。2002年(平成14)帝塚山(てづかやま)学院人間文化学部文化学科助教授、2005年京都造形芸術大学空間演出デザイン学科教授に就任。
平面作品を手がけた時代は初期の数年と短く、まだ「もの派」の影響が残り、無彩色で無機的な作品が多くみられた時代にあって、1979年のスリランカ旅行で目にした色彩の強いエスニックな印象を与える事物に触発され、帰国直後から有機的な造形作品を手がけるようになる。1982年に赤に着色した紙粘土の円板にさまざまなものを貼りつけた『アカイロイタ』を発表。1985年から1992年(平成4)にかけては「巨大な不定形な泡の時代」と作家自らがくくるFRP(繊維強化プラスチック)素材を駆使した大作を手がけている。黄色に塗られた巨大な心臓のような有機的な印象を与えるこの時期の代表作『フレッシュガソリン』は、サンフランシスコ近代美術館ほか全米6か所を巡回した「アゲインスト・ネイチャー――80年代の日本現代美術」展(1989)で発表された。1992年には10トントラック1台分の嵩(かさ)のある『ラビングバンド』をサン・ディエゴ現代美術館での個展で発表し、1993年のベネチア・ビエンナーレ「アペルト」展に青く着色したFRP製のコイを床に並べ、非言語的暗喩(あんゆ)を共有することの可能性を探った作品『ゴールデンハーモニー』を出品する。1994年以降は国内での活動に専念するようになり、多数の展覧会に参加し、講演も行うようになる。1994年黄色のインコを250倍に拡大した作品『ポリゼウス』、1996年ジャイロ(こま)とシーソー状態の鉄パイプを組み合わせた玩具『ラブ・リバウンド』を完成させる。
1995年の阪神・淡路(あわじ)大震災でシステムが混乱した社会を体験した椿は、普及し始めたばかりのインターネットによるコミュニケーションの可能性を経験し、コンピュータを使った外在化・可視化しにくい表現へと移行する。そのことは椿にネットワーク型社会にみられる水平関係と速度感を重視する意識をもたらし、システムそのものを表現として認識する環境へと誘った。1996年のインターメディウム研究所(IMI)設立への参画は、この傾向にいっそうの拍車をかけた。講師陣のネットワークにより最新情報を得、専門知識と技術をもつIMI研究生の有志をチーム「椿組」とすることで、これまでにないネットワーク(分散)型のスタジオ工房により制作を行うスタイルを構築する。2003年の「椿昇『国連少年』」展(水戸芸術館)は彼らインターネットとコンピュータ・プログラムの使い手を駆使して準備から開催まで数か月で仕上げた。
2000年にはドイツ、ハノーバー万博日本館で政府展示として初めてテレビ・ゲームを導入し、2001年の横浜トリエンナーレでは美術評論家室井尚(ひさし)(1955―2023)と「ザ・インセクトワールド」プロジェクトを発表、全長50メートルの『飛蝗(ばった)』をホテル外壁に設置し話題をさらった。2002年にはヒューマノイド型ロボットへの疑問を基盤に「ニューロキューブ」というロボットシステムの開発を完了し市場にリリースした。椿昇は、現実社会の諸現象への批評的解釈をベースにした別の視点からの問題提示をポップな作品表現を通じて行う。
[森 司]
『「椿昇『国連少年』」(アーティスト・ブック&カタログ。2003・水戸芸術館)』