ショウリョウバッタをいうハタハタの変化した語か。
大群をなして移動し、通過する土地の青い草を食べ尽くすバッタ類をいう。最近は移住バッタ、ワタリバッタまたはトビバッタとよばれることが多い。飛蝗になる種類は世界に約20種知られており、中国のトノサマバッタ、中近東からインドにかけているサバクバッタ(砂漠飛蝗)、アフリカにいるモロッコ飛蝗、北アメリカのロッキー山飛蝗などが有名である。古くから中国でもっとも害のあるものは飛蝗で、単に蝗とも書いているが、日本の歴史のなかでは、ほかの学問と同様に初め中国の書き方をまねたので、害虫の大発生があると「此歳(このとし)夏蝗食稲天下飢饉(ききん)」などと記録したが、実は日本では真の飛蝗は少なく、蝗としたものはイネの害虫の総称と解すべきであって、もちろん現在のイナゴをさすものでもない。
中国の飛蝗は日本にいるトノサマバッタと同じ種で、南・北アメリカと極寒地を除く広い分布域をもち、群生して移住する性質をもつ群生相という性質に変わったもので、普通、草原に単独で生活する孤独相のトノサマバッタが緑色を帯び、前胸背面が中高であるのに対し、群生相では全体が褐色で頭(幅)が大きく、はねが長く、後脚が短く、前胸背面の中央がくぼんでいる。環境要因の変化に伴って、急に相が転換するのではなく、しだいに群がってすむ性質をもつ中間型(転移相)の数を増し、ついには群生相に変わる。発生地の共通の特色は、水はけのよい砂礫土(されきど)をもつ乾燥地で、そのうえ植物がまばらである点などであって、これらの環境は大河の流域や砂漠などに多く、一般の土地では干天続きの年に起こる。
中国では紀元前2世紀から後19世紀にかけて1330回以上の大発生が記録されているが、日本では古い記録の詳細は不明で、わずかに1770~1771年(明和7~8)に江戸の空を渡った記録と、1880~1884年(明治13~17)に北海道で驚異的な大発生があったことが知られているだけである。その後は1929~1930年(昭和4~5)までの間に北海道で3回地域的な発生が認められ、明治時代に沖縄や千葉県、小笠原(おがさわら)諸島で小発生が認められただけで、いずれの土地も開発などによる環境の変化によって発生が抑えられている。ただ1974年(昭和49)には北大東(きただいとう)島で、また1985年には九州南方の馬毛(まげ)島で大発生が起こった。
トノサマバッタの群生相と孤独相は昔は別の種であると信じられていたが、両者が同一種の密度の相違による型であることがわかり、相変異と名づけられたのはイギリスのウバロフUvarovの研究(1921)によるもので、その後ほかの飛蝗の種類についても同様の相変異があることが認められるようになった。飛蝗は世界各地で古くから大きな被害があったが、これに対する研究は相変異の発見によって促進され、とくに第二次世界大戦以後はイギリスに対蝗研究センターAnti-Locust Research Centreが設立され、フランスにおいても研究が拡張され、被害の多いアフリカ、中近東などの諸国も協力して飛躍的に進歩した。その結果アフリカでのトノサマバッタの飛蝗化の制御はある程度可能となったが、サバクバッタではまだ不可能である。したがって飛蝗の発生は後を絶たず、被害諸国の悩みの種になっている。サバクバッタの飛蝗は1平方キロメートルに5000万個体にも達するといわれる。
[中根猛彦]
トビバッタとかワタリバッタなどともいう。大群をなして飛びながら大きく移動し,農作物などに大害を与えるバッタ類のことで,世界から十数種が知られている。とくにアフリカからインドにかけて見られるサバクバッタ(砂漠飛蝗,サバクトビバッタ),アフリカからユーラシアに広く分布し,日本にもいるトノサマバッタ(移住飛蝗)の二つが有名である。これらの種では,大発生はおもに大河流域の乾燥草原で起こり,そこから移動を始める。日本でもトノサマバッタが明治年代に北海道で出現し,道内各地に被害を与えたことがあり,また1974年には北大東島で,1986年には鹿児島県の馬毛(まげ)島で大発生したことがある。
ふつう日本の草原に見られるトノサマバッタは大群をなして移動することがなく,低い個体群密度で分散している。この状態を孤独相の状態にあるといい,前胸背板が幅広く,背方にもり上がっていて,体の全体がややどっしりした感じである。これに対し個体群密度の高い移動群飛を行うものは,全体に黒褐色が強くなり,長い翅,相対的に短い肢,スマートな前胸背板をもって,飛ぶのに適した形態となっている。この状態を群生相のバッタという。密度などの飼育条件を変えることにより,同じ種の中で自由にこの相を変えうることがわかっている。
野外で種々の原因により個体群密度が高まり,群生相のバッタが出現し,その発生地ならびに周辺の食物を食いつくすと集団で大移動を起こすが,その移動群飛は風に乗って行われ,一片の雲かと思わせるほどの密な大群となり,たとえばサバクバッタで1km2あたりおよそ5000万個体を擁する。これが降り立った土地では,緑色植物がほとんど根こそぎに短時間で食いつくされ,食物がなくなると再び新たな餌場を求めて集団移動する。このため飛蝗出現地域では,その襲来を極度に恐れているが,いったん襲来を受けると手のほどこしようがない。集団はこのようにして移動を繰り返すが,集団移動の終結は,多くは気候の悪化により,一部は天敵,その他の原因によっている。
飛蝗の〈相〉説は,1921年イギリスのウバロフB.P.Uvarovと南アフリカのフォールJ.C.Faureとが独立に打ちたてた説であるが,その後ウバロフはこの説を飛蝗対策の柱として,とくにアフリカ地域で対策に取り組み,飛蝗の常発地帯をつきとめ,発生予察を行うことにより,現在ではアフリカトノサマバッタの飛蝗化はある程度抑えることができるようになった。しかし,サバクバッタの飛蝗化についてはまだ人類はコントロールできない状態にある。
→害虫 →蝗害
執筆者:山崎 柄根
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…ときにはニワトリなどの餌にもすることがある。 なお,伝統的に日本では聖書や欧米の文学書を翻訳する際,飛蝗(ひこう),蝗(トノサマバッタ,サバクトビバッタなど)のことを〈イナゴ〉と訳してきた。これは〈バッタ〉と訳すべきものであって,本項の〈イナゴ〉には該当しない。…
…これらのバッタ類の害は古くから世界中で知られ,エジプトでの多発例は旧約聖書にも記され,中国では前1200年ころから記録されている。群れをなして空を飛翔(ひしよう)して移動するバッタ類は飛蝗(ひこう)(近年トビバッタともいう)と呼ばれ,もっとも恐ろしい害虫の一つとされている。飛蝗の性質をもつバッタは種類が多いが,その代表種は,アフリカから旧北区,東洋区に広く分布する移住飛蝗(トノサマバッタ)Locusta migratoria,北アフリカから地中海沿岸,旧ソ連南部などに分布するモロッコ飛蝗Dociostaurus maroccanus,南西アフリカの褐色飛蝗Locustana pardalina,北アメリカのロッキー山飛蝗Melanoplus mexicanus,南アメリカの赤色飛蝗Nomadacris septemfasciata,南アフリカ,中近東の砂漠飛蝗Schistocerca gregaria,中南米の南米飛蝗S.paranensisなどが有名である。…
…大発生地における急激な密度増加は,多くの場合個体群の集団的な移動を引き起こす。アフリカのサバクトビバッタ(飛蝗(ひこう))では,時には100億匹にも達する大集団をなして5000kmにも及ぶ大移動をする。哺乳類においても特異な生理・生態的変化をともなう場合のあることが知られているし,集団移動も頻繁に起こる。…
…これらのバッタの群集は個体群密度が高いため,居住しているところや周辺の食物をたちまち消費してしまうので,新たな食物生育地を目ざして移動する。このときの大群の移動が飛蝗(ひこう)(トビバッタ)として知られ,ことに農作物に大被害を与えることで恐れられている。飛蝗とならなくても,害虫もしくは害虫化の傾向をもつバッタ類は多数あり,日本のイナゴなどはその代表例である。…
※「飛蝗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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