楊凝式(読み)ようぎょうしき(英語表記)Yáng Níng shì

改訂新版 世界大百科事典 「楊凝式」の意味・わかりやすい解説

楊凝式 (ようぎょうしき)
Yáng Níng shì
生没年:873-954

中国,五代の書家。字は景度。華陰陝西省)の人。唐末の宰相楊渉の子。進士となり,唐の滅亡後,五代各朝に仕え,漢では少師にまで進んだので楊少師とも称される。乱世を生きぬくためにつねに狂人をよそおい,楊風子ともいわれた。書は顔真卿,柳公権から脱胎して天真縦逸,北宋蘇軾(そしよく),黄庭堅米芾(べいふつ)らに推称された。作品はきわめて少なく,《韭花帖(きゆうかじよう)》が知られるのみである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「楊凝式」の意味・わかりやすい解説

楊凝式
ようぎょうしき
Yang Ning-shi

[生]咸通14(873)
[没]顕徳1(954)
中国,五代の書家。華陰 (陝西省) の人。字は景度。号は虚白,希維居士など。唐の昭宗朝の進士。唐の滅亡後五代の各王朝に仕えたが,乱世にあったため狂人を装い楊風子と呼ばれた。五代の漢に仕えたとき少傅 (しょうふ) 少師に任じられたので,楊少師ともいわれた。書は顔真卿を学び狂草を得意とした。洛陽の仏寺,道観などに多く書を残した。作品に『韭 (きょう) 花帖』『神仙起居法』『盧鴻草堂十志図跋 (ばつ) 』などがある。

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百科事典マイペディア 「楊凝式」の意味・わかりやすい解説

楊凝式【ようぎょうしき】

中国,唐末五代の書家。字は景度。名門の出で,昭宗の時に進士となり,唐の滅亡後は梁,晋など各王朝に仕えて栄進した。乱世を生き抜くため狂人を装ったなど逸話が多い。書は,草書楷(かい)書をよくしたが,その真価は宋代に至ってようやく認められた。

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世界大百科事典(旧版)内の楊凝式の言及

【書】より

…顔真卿より少し前に,李邕(りよう)(678‐747)が王羲之の書風を学んで多くの行書碑を書き,また顔真卿以後では,柳公権が顔真卿の書を受けついで,さらに勁媚な書風を築き,当時の貴族社会にもてはやされた。五代になると,唐の中ごろに起こった革新的な潮流はやや停滞したが,ひとり楊凝式(ようぎようしき)が現れ,懐素,顔真卿などの影響を受けて縦逸な草書に特色を発揮した。
[宋・元時代]
 宋代は文化の上に新しい機運のもりあがった時代である。…

※「楊凝式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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