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黄庭堅 こうていけん Huang Ting-jian

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黄庭堅
こうていけん
Huang Ting-jian

[生]慶暦5(1045).6.12.
[没]崇寧4(1105).9.30.
中国,北宋の詩人,書家。洪州分寧 (江西省修水県) の人。字,魯直。号,山谷,涪翁 (ふうおう) 。治平4 (1067) 年進士に及第,国子監教授,江西,山東の地方官をつとめ,元豊8 (85) 年秘書省に入って『神宗実録』の編纂にあたったが,紹聖1 (94) 年新法党に中傷され,以後地方を転々として最後は宜州 (広西省) で没した。

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デジタル大辞泉の解説

こう‐ていけん〔クワウ‐〕【黄庭堅】

[1045~1105]中国、北宋の詩人・書家。分寧(江西省)の人。字(あざな)は魯直(ろちょく)。号、山谷道人。師の蘇軾(そしょく)とともに蘇黄と並称される。江西詩派の祖。書は行書草書にすぐれた。

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百科事典マイペディアの解説

黄庭堅【こうていけん】

中国,北宋の詩人,書家。分寧(江西省)の出身。字は魯直,号は山谷道人。1067年進士。地方官を振出しに,中央に入り秘書省校書郎に任命され,のち党争の犠牲となり左遷。
→関連項目蔡襄二十四孝范成大

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世界大百科事典 第2版の解説

こうていけん【黄庭堅 Huáng Tíng jiān】

1045‐1105
中国,北宋の詩人。洪州分寧(江西省)の人。ふつうは号(山谷道人)によって黄山谷と呼ばれる。新法党が優勢であった時代を生きたために,旧法党に属した彼は政治的に不遇であった。蘇軾(そしよく)の門弟のうち,最も重要な詩人であり,師とあわせて蘇黄と併称される。古典に関する学識を積み,古人の詩文に借りて,そこに新たな生命力を吹き込むことを創作の根底におく詩学,すなわち〈点鉄成金(鉄を変じて黄金となす)〉の主張は,彼を師と仰ぐ江西詩派の隆盛とともに,南宋の詩壇に大きな影響を与えた。

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大辞林 第三版の解説

こうていけん【黄庭堅】

1045~1105) 中国、北宋ほくそうの詩人・書家。字あざなは魯直ろちよく、号は山谷さんこく道人。蘇軾そしよくに師事。その詩風は江西こうせい体と呼ばれて詩壇を風靡ふうび。草書にもすぐれた。著「山谷集」「涪翁雑説」「杜詩箋」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

黄庭堅
こうていけん
(1045―1105)

中国、北宋(ほくそう)の詩人。字(あざな)は魯直(ろちょく)。山谷(さんこく)道人と号する。分寧(江西省)の人。代々進士を出した名家に生まれ、早熟の神童として知られた。蘇軾(そしょく)に師事したが、詩名は並称される。政治的立場はむしろ是々非々主義であったが、新法・旧法の争いのなかで、新法党に憎まれ、何度も辺境に流罪になり、ついに宜州(ぎしゅう)(広西省)で死んだ。身辺には弟子1人が付き添うだけであったという。『予章(よしょう)黄先生文集』30巻、同外集17巻がある。彼の父や義父は宋代において杜甫(とほ)を崇拝した早いグループに属し、その影響のもと、杜甫から韓愈(かんゆ)に連なる知的技巧主義と、特異な感覚の尊重を受け継ぎ、宋代主知主義の典型的な詩人となった。その詩はさまざまなくふうを凝らした知的技巧により磨き上げられている。なかでも「点鉄成金」「換骨奪胎」と自らよんだ、古人の詩句を活用、新しい自分の詩をつくりだす手法は世に知られている。「陽関の一曲、水東に流る。灯火の旌陽(せいよう)、一釣舟(いちちょうしゅう)。我自ずからは只(ただ)常日の如(ごと)く酔う。満川の風月、人に替わりて愁う。」(「夜分寧(よぶんねい)を発す、杜澗叟(とかんそう)に寄す」)はその例。北宋末期から南宋初期にかけては彼の詩風が流行し、江西派とよばれた。明(みん)代に入ると古文辞派の人々から、宋の偽詩の代表として非難を浴びた。清(しん)末に宋詩が尊重されるようになると再認識される。
 わが国では、室町時代、五山の禅僧の間で、蘇軾とともに愛読された。書においては、蔡襄(さいじょう)、蘇軾、米(べいふつ)とともに北宋の四大家とされる。唐の張旭(ちょうきょく)、懐素(かいそ)に学び、懐素「自叙帖」の真髄を得たと自らいう。行草に優れ、伝存する真跡が多い。[入谷仙介]
『倉田淳之助著『漢詩大系18 黄山谷』(1967・集英社) ▽荒井健注『中国詩人選集2集7 黄庭堅』(1963・岩波書店)』

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世界大百科事典内の黄庭堅の言及

【胸中丘壑】より

…中国,宋代の蘇軾(そしよく)の画に題した黄庭堅の詩,《子瞻(しせん)の枯木に題す》(《山谷内集》巻九)の〈胸中もとより自ら丘壑有り〉という句からきた成語。身を俗塵の外に置くという意の〈一丘一壑〉(《晋書》謝鯤(しやこん)伝)あるいは〈丘壑〉を換骨奪胎し内面化するとともに,文人墨戯の理想を鮮明なイメージに託して示すもの。…

【詩法】より

…《三体詩》は初歩的なアンソロジーであるが,実接,虚接などの詩法をあげ,実作を例示して作詩の入門書として便利であった。宋代にはまた黄庭堅が〈換骨奪胎〉〈点鉄成金〉という,古人の詩句を生かして新しい詩を創造する詩法を提唱,江西詩派を形成した。唐代にも韓愈(かんゆ)や白居易の周辺に流派が形成されており,方法論的反省を伴っていたと思われるが,詩法によって明確な流派を形成したのは,江西詩派が最初である。…

【書】より

…彼は〈筆説〉〈試筆〉《集古録跋尾》などを著し,書において最も大切なのは,技法の末節ではなく,書者の人物識見であるとし,一種の人格主義的な書論を唱えた。この思想は,その弟子の蘇軾(そしよく)(東坡),またその弟子の黄庭堅らにも受け継がれ,宋代士大夫の書論を大きく方向づけることになった。宋代の新しい書風を実作の面で打ち出したのは蔡襄(さいじよう),蘇軾,黄庭堅,米芾(べいふつ)のいわゆる宋の四大家である。…

【書論】より

…宋代になると,欧陽修が《集古録跋尾》《筆説》《試筆》を著して以来,書は主として題跋や随筆の形で鑑賞され,論評されることになる。例えば蘇軾(東坡)に《東坡題跋》,黄庭堅に《山谷題跋》があり,彼らは顔真卿の書を基礎として自己の書風を確立するとともに,新しい観点から顔書を書史の上に大きく位置づけることに成功した。米芾(べいふつ)も古法書を深く究明して,晋人の平淡天真に書の理想を求め,それをみずから血肉化することによって,因襲的な伝統派をのり越えることができた。…

【宋詩】より

…蘇軾の門下には多くの詩人が出た。秦観,陳師道,文同(字は与可)らがあげられるが,黄庭堅(山谷)は詩人として蘇軾と匹敵する。点鉄成金,換骨奪胎と称して,古人の詩句を自在に活用する手法を駆使して,宋詩の主知主義を極限まですすめ,多くの模倣者を出し,江西派という詩派を作りだす。…

【宋代美術】より

…例えば北宋のモニュメンタルな山水画,南宋院体画の画家と鑑賞者の間のコンセンサスに支えられた洗練度などを見れば,宋代の絵画が世界のこの分野での一つの頂点をなしていることが理解される。 書の分野では,国初は古法帖や王羲之,王献之の名跡を収めた《淳化閣帖》の刊行が行われ,伝統的な書風が主流であったが,蔡襄が出て伝統的な技法の枠から書風を開放し,さらに蘇軾,黄庭堅らが自己の人間性を率直に表現することを推し進めた。米芾も晋・唐名跡の臨摹(りんも)から始めて平淡自然な書風を樹立したが,このような傾向は絵画における文人墨戯の成立と軌を一にするものである。…

【中国文学】より

…杜甫を詩人の最高峰とする認識は,彼によって広まる。黄庭堅(山谷)は王安石と政治的立場を異にしたが,詩においては同じ認識にもとづき,知的傾向を強めた。王安石と黄庭堅とはその詩句の難解なことで読者を苦しめる(とくに彼らの使用する典故は常識をこえる広い範囲に及び,2人の死後まもなくその詩集の注釈が作られたほどであった)。…

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