楊炯(読み)ようけい

日本大百科全書(ニッポニカ)「楊炯」の解説

楊炯
ようけい
(650―693?)

中国、初唐詩人。華州華陰陝西(せんせい)華陰県)の人。字(あざな)不詳。659年(顕慶4)神童科に及第して弘文館の待制となり、676年(上元3)には制挙に及第して校書郎となった。のち太子詹事(せんじ)司直、崇文館学士に転じ、則天武后の代に親族の者の罪に連座して梓州(ししゅう)(四川(しせん)省三台県)司法参軍に左遷された。その後洛陽(らくよう)に戻り、692年(如意1)盈川(えいせん)(浙江(せっこう)省衢(く)県)となって、まもなく死んだ。盈川令であったことから楊盈川ともよばれる。王勃(おうぼつ)、盧照鄰(ろしょうりん)、駱賓王(らくひんのう)とともに初唐四傑の一人。王勃同様五言律詩に優れ、近体詩の成立に貢献した。『楊盈川集』10巻がある。

[齋藤 茂]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「楊炯」の解説

楊炯
ようけい
Yang Jiong

[生]永徽1(650)頃
[]神竜1(705)?
中国,初唐の詩人。華陰 (陝西省) の人。幼少から才名が高く,11歳で神童科に合格。上元2 (675) 年進士に及第,校書郎となり,次いで崇文館学士となったが,則天武后の治世の初め,梓州司法参事に左遷され,のち盈川 (えいせん) の令となって没した。それによって楊盈川とも呼ばれる。王勃盧照鄰駱賓王とともに「初唐四傑」といわれるが,不遇薄命の士の多い四傑のなかでは比較的まともな生涯をおくっている。他の3人とともに,六朝の詩風から唐詩独自の抒情を生むさきがけをなし,特に五言近体詩韻律の完成に寄与した。詩集『楊盈川集』。

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デジタル大辞泉「楊炯」の解説

よう‐けい〔ヤウ‐〕【楊炯】

[650?~695?]中国、初唐期の詩人。華陰(陝西(せんせい)省)の人。は盈川(えいせん)の令に至ったので、楊盈川とも称された。初唐四傑の一人。文辞典麗で、特に五言律詩にすぐれていた。

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世界大百科事典内の楊炯の言及

【初唐四傑】より

…中国,唐の則天武后の時代のすぐれた詩人4人,王勃(おうぼつ)(649‐676),楊炯(ようけい)(650‐695?),盧照鄰(ろしようりん)(637‐689),駱賓王(らくひんのう)(640?‐684?)をいう。略して王楊盧駱ともいう。…

※「楊炯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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