駱賓王(読み)らくひんのう

日本大百科全書(ニッポニカ)「駱賓王」の解説

駱賓王
らくひんのう
(640?―684)

中国、初唐の詩人。義烏(ぎう)(浙江(せっこう)省義烏県)の人。字(あざな)不詳。高宗朝に武功(陝西(せんせい)省武功県)、長安の主簿を歴任したが、則天武后が政治の実権を握ると臨海(浙江省臨海県)の(じょう)に左遷され、不満を抱いて辞職した。684年(光宅1)武后の即位に反対して徐敬業が兵をあげるとこれに加わり、「一抔(いっぽう)の土未(いま)だ乾かざるに、六尺(りくせき)の孤安(いず)くにか在る」の名文句で知られる檄(げき)文を書いた。その年の冬、徐敬業が敗れるとともに死んだと伝えられるが、一説には逃れて僧侶(そうりょ)になったともいう。王勃(おうぼつ)、盧照鄰(ろしょうりん)、楊炯(ようけい)とともに初唐四傑の一人で、「帝京篇(へん)」など七言の長編に優れた作品を残している。『駱臨海集』10巻がある。

[齋藤 茂]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「駱賓王」の解説

駱賓王
らくひんおう
Luo Bin-wang

[生]貞観14(640)頃
[]光宅1(684)頃
中国,初唐の詩人。ぶ州義烏 (浙江省) の人。早熟の天才であったが,出自が低いため不遇で,長安の主簿のときに則天武后の怒りに触れ,臨海 (浙江省) の丞に左遷された。それによって駱臨海とも駱丞とも呼ばれる。やがて不満から辞任し,徐敬業が揚州で武后に対する反乱の兵をあげると加担して檄文を起草したが,挙兵失敗ののち誅せられたとも姿をくらましたともいう。王勃楊炯 (ようけい) ,盧照鄰と「初唐四傑」といわれ,「王楊盧駱」と並称される。六朝の詩風を継承しつつも,清麗で格調があり,特に盧照鄰とともに七言歌行を得意とし,代表作『帝京 (けい) 編』は有名。詩文集『駱丞集』 (『駱臨海集』) 。

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百科事典マイペディア「駱賓王」の解説

駱賓王【らくひんのう】

中国,初唐の詩人。浙江省の人。長安に集まる青年と妓女の交歓を描いた七言古詩《帝京篇》で詩名を得たが,落魄(らくはく)して博徒と遊んだ。徐敬業が揚州で反則天武后の反乱を起こしたのに荷担,檄文を書いて武后を感嘆させたが,乱平定後ゆくえ知れずとなる。王勃(おうぼつ),楊烱(ようけい),盧照鄰(ろしょうりん)と合わせて〈初唐の四傑〉と呼ぶ。

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精選版 日本国語大辞典「駱賓王」の解説

らく‐ひんのう ‥ヒンワウ【駱賓王】

七世紀の、中国唐の詩人。詩文に巧みで「帝京篇」は名高く、またよく数字を用いた対句を作ったところから算学士と呼ばれた。王勃・楊炯・盧照鄰とともに初唐の四傑。詩文集「駱丞集」がある。生没年未詳。

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デジタル大辞泉「駱賓王」の解説

らく‐ひんのう〔‐ヒンワウ〕【駱賓王】

中国、初唐期の詩人。婺州義烏ぶしゅうぎう浙江せっこう省)の人。初唐四傑の一。則天武后に反抗した将軍徐敬業の秘書として書いた檄文げきぶんが有名。生没年未詳。

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世界大百科事典内の駱賓王の言及

【懐風藻】より

…詩の内容は,侍宴応詔など公的なうたげの詩が多く,遊覧の詩がこれに続き,珍しく述懐・詠物・七夕などの詩をも含む。詩句の中には,中国の詩の改作に過ぎないものもあり,また《文選》はもちろん,当時伝来していた初唐の王勃(おうぼつ)や駱賓王(らくひんのう)の詩文を学んだ跡も見られる。とくに左大臣長屋王周辺の官人,および以後の官人作の〈詩序〉数編の佳品は,王勃らの詩序を参考にした点が顕著である。…

【初唐四傑】より

…中国,唐の則天武后の時代のすぐれた詩人4人,王勃(おうぼつ)(649‐676),楊炯(ようけい)(650‐695?),盧照鄰(ろしようりん)(637‐689),駱賓王(らくひんのう)(640?‐684?)をいう。略して王楊盧駱ともいう。…

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