日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケツァルコアトル」の意味・わかりやすい解説
ケツァルコアトル
けつぁるこあとる
Quetzalcóatl
古代メキシコの重要な文化コンプレックスで、(1)アステカ、トルテカなどの諸文化の宗教・神話において、民衆に文化を授けた神の名であると同時に、(2)10~12世紀に栄えたトルテカ王国に実在した、ケツァルコアトル神を信奉する神官王の名でもあり、さらに(3)古代メキシコのクアウティトランCuautitlánその他の地方でつくられた詩に歌われた文学上の主題の人物名でもある。「羽毛の生えた蛇」を意味する。
(1)の意味でのケツァルコアトルは、その起源を紀元前数世紀にまでさかのぼることができる。もともと農耕と縁の深い水神であったものが、テオティワカン文化(2~7世紀)において、「羽毛の生えた蛇」として人々の信仰を集め、ケツァルコアトルの神殿がつくられた。その後に続くショチカルコ、トルテカ、アステカ等の文化においてもケツァルコアトルは崇拝され、複雑な属性を備えた神格に変化していった。アステカ期(14~16世紀)につくられたナワトル語の諸テキストでは、ケツァルコアトルは、13層に分かれた天空の第4層に住む金星神に比定され、また最高神トナカテクートリとトナカシワトル(オメテクートリ、オメシワトルともいう)の生んだ4人の子の1人として、宇宙や人間の創造、さらにトウモロコシの獲得に携わった神としても描かれている。またエエカトルという風の神も彼の分身であった。
(2)の意味でのケツァルコアトルは、トルテカ人の首長ミシュコアトルの子であり、トゥーラに都を置いてトルテカ王国の繁栄を築き上げるとともに、文化神ケツァルコアトルの神官としてケツァルコアトル・トピルツィンを名のった。その後、軍神テスカトリポカを信奉する一派との闘争に敗れて東の海に去った。その際にこの王が再来を約したという伝説があったため、1519年征服者コルテスがメキシコに侵入したとき、ケツァルコアトルの分身とみなされたといわれている。なお、ケツァルコアトル神はマヤ文化にも伝播(でんぱ)し、とくにククルカンKukulkánの名で崇拝された。ユカタン半島北部のチチェン・イツァー遺跡には有名なククルカンの神殿がある。
[増田義郎]