楠流(読み)くすのきりゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「楠流」の意味・わかりやすい解説

楠流
くすのきりゅう

わが国古伝兵法の一つ。南北朝時代、河内(かわち)の知将とうたわれた楠木正成(くすのきまさしげ)の兵略・戦術を祖述した、近世兵学の流派。すでに戦国武将のなかには、『太平記』『難太平記』などの軍記物を治政や軍略の指南書とみる者が現れた。さらに江戸時代に入るころには、正成およびその一族の優れた策略・戦術を回顧し、独自の考証論評を加えて、これを兵学として組み立て、楠流を称する者が各地に現れた。

 そのおもなものを以下にあげる。

(1)陽翁伝(ようおうでん)楠流。大運院陽翁(1560―1622)の開いたもので、『太平記評判秘伝理尽抄(りじんしょう)』40巻を基本伝書とする。金沢を中心に岡山・小田原稲葉)などの諸藩に広がり、正徳(しょうとく)~享保(きょうほう)(1711~36)のころ、加賀から江戸へ出た神田白竜子勝久は太平記軍談をもって府下に鳴った。

(2)南木(なんぼく)流。正成17代の後裔(こうえい)を称した楠不伝(くすのきふでん)(甚四郎正辰)を祖とし、『南木拾要(なんぼくしゅうよう)』を根本伝書とする。慶安(けいあん)事件の由比正雪(ゆいしょうせつ)は不伝の門人という。

(3)河陽(かよう)流。河宇田永白の『河陽兵庫之記』を根本伝書とし、永白の子正鑑の的伝を受けた伊南芳通(いなみよしみち)(1620―1717)が会津藩主保科正之(ほしなまさゆき)に用いられ、同藩で行われたので会津伝楠流ともいう。芳通の門人山家輝長によって仙台藩に伝えられ、幕末に及んだ。

(4)河内(かわち)流。吉田自楽軒氏冬の『軍林私宝(ぐんりんしほう)』(1658)を根本伝書とする。

(5)行流(こうりゅう)。秋月采女正(うねめのしょう)輝雄(風外(ふうがい))の『兵道集』『軍要集』などを主伝書とする。

(6)新楠(しんくすのき)流。紀州藩の名取三十郎正武が唱えたもので、初め名取流といったが、藩主徳川頼宣(よりのぶ)の命により新楠流に改めたという。『兵家常談』『兵具要論』など多数の著書がある。

 以上諸流の活動のほか、陽翁の『太平記理尽抄』が1645年(正保2)以来、数次の版を重ねたのをはじめ、『楠正成一巻之書』(1654)、『楠知命抄』(1680)、『南木武経』(1681)、『桜井之書』(1682)、『楠家伝七部書』(1682)などの諸書が相次いで出版され、甲州流越後(えちご)流、長沼流などの兵法諸流派に強い影響を与えるとともに、広く一般士人の間にも楠公(なんこう)崇拝思想を植え付けていった。

[渡邉一郎]

『石岡久夫編『日本兵法全集6 諸流兵法 上』(1967・人物往来社)』『石岡久夫著『日本兵法史 上』(1972・雄山閣出版)』

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