楡木村(読み)にれぎむら

日本歴史地名大系 「楡木村」の解説

楡木村
にれぎむら

[現在地名]鹿沼市楡木町

くろ川西岸に位置し、西部の丘陵裾を小藪こやぶ川が南流する。村の東部を壬生みぶ通が南北に走り宿が置かれた。南はいそ村、東は大和田おおわだ村・藤江ふじえ村、北は奈佐原なさはら村・塩山しおやま村、西は半田はんだ(現上都賀郡粟野町)。慶安郷帳では田三三三石余・畑三〇九石余、壬生藩領。元禄郷帳では幕府領、幕末も同じ(旧高旧領取調帳)。楡木・奈佐原宿組合二九ヵ村の寄場で、天保年間(一八三〇―四四)の家数一一五(改革組合村)。田より畑が多く、用水黒川・小藪川から引水した。


楡木村
たまのきむら

[現在地名]古川市楡木

古川から松山まつやま(現志田郡松山町)桃生ものう野蒜のびる(現鳴瀬町)に通ずる道に沿って集落がある。北は馬寄まよせ村、南は師山もろやま村、東は石森いしもり村、西は大幡おおはた村・宮内みやうち村に接する。「安永風土記」によれば、かつて村内に楡木の大木があったので村名としたという。正保郷帳に田二三貫三二七文・畑五貫四〇三文とあり、ほかに同所新田二二貫三〇文があった。「安永風土記」によれば、田六三貫七〇四文・畑六貫五二七文で、蔵入は一五貫四〇七文、給所は五四貫八二四文、人頭三〇人(うち沽却禿三)、家数四二(うち名子六・借屋九)、男九四・女七五、馬二〇とある。


楡木村
にれぎむら

[現在地名]日高市楡木

栗坪くりつぼ村の東、高麗こま川右岸にあり、北は新堀にいほり村。東西川越秩父を結ぶ道が通る。高麗郡高麗領に属した(風土記稿)。小田原衆所領役帳に他国衆三田弾正少弼の所領として「にれの木」一五貫文がみえる。田園簿には楡ノ木村とみえ田一五石余・畑四一石余、幕府領。寛保二年(一七四二)から上総久留里藩領(延享三年「久留里藩領知目録」久留里藩制一班など)検地は寛文八年(一六六八)に行われた。南にある持添新田四町六反余は延享元年(一七四四)に検地され、化政期には幕府領(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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