榎津郷
えなつごう
「和名抄」高山寺本は「江奈津」と訓じ、東急本は「以奈豆」と訓ずる。「万葉集」巻三には「墨吉乃得名津」とあり、「えなつ」が妥当である。なお「住吉大社神代記」には「朴津」と書かれている。
郷域推定の根拠として次の二つがある。現大阪市住吉区の遠里小野の大和川右岸の台地西方に榎津の字名があったが(明治三五年東成郡墨江村全図)、これは「摂津名所図会」の遠里小野村(現住吉区・堺市)の南に朴津谷があるというものと対応する。また現堺市戎之町東二丁の菅原神社境内にかつてあった常楽寺について、永享八年(一四三六)七月八日の僧正興継注進状(醍醐寺文書)に「住吉郡朴津郷堺北庄常楽寺」とみえる。この二点からすると、東は住道郷・大羅郷に隣接し、住吉社(現住吉区)の南方から大津道(のちの長尾街道)までの海岸部と台地を含む地域と考えてよい。「大日本地名辞書」は住吉村(現住吉区)、墨江村(現住吉区・住之江区)、安立町(現住之江区・堺市)から現大和川左岸の向井村・五箇荘村・北庄(現堺市)の地とするが妥当であろう。
榎津郷
えなつごう
「和名抄」所載の郷。同書高山寺本に「江奈豆」、東急本・元和古活字本に「衣奈都」、名博本に「エナツ」の訓がある。承和八年(八四一)五月七日の太政官符(類聚三代格)に「男衾郡榎津郷戸主外従八位上壬生吉志福正之男」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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