竹内街道(読み)たけのうちかいどう

大辞林 第三版の解説

たけのうちかいどう【竹内街道】

大阪府堺市から奈良県橿原市に至る古代からの道。県境付近二上山南側で海抜389メートルの竹内峠を越える。

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百科事典マイペディアの解説

竹内街道【たけのうちかいどう】

南大和から南河内をほぼ東西に横断し,泉州に至る道で,街道名は大和・河内の国境を二上(にじょう)山南側の竹内峠(奈良県葛城市と大阪府太子町の境)で越えることによる。江戸時代には,大和の東西の古道である横大路から竹内峠を経て河内の飛鳥(あすか)・駒ヶ谷・古市・野々上(ののうえ)・樫山・野遠(のとお)・金岡などを通り堺に至る。当街道は《日本書紀》の壬申の乱の記事にみえる丹比道(たじひみち)の後身と考えられている。
→関連項目磯長谷羽曳野[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

たけのうちかいどう【竹内街道】

大和と河内を結ぶ主要道。名の由来は,奈良県北葛城郡当麻町竹内の集落を通り,二上山南側の竹内峠を越えることによる。近世においては,竹内~竹内峠~山田~春日~飛鳥~駒ヶ谷~古市~軽墓~野野上~樫山~岡~野遠~金田~黒土~堺の道順をたどる。金田(堺市金岡町)所在の金岡神社と,樫山と野野上の中間点(松原市立部2丁目付近)まではほぼ直線であり,古代の東西に走る直線古道,丹比道(たじひみち)の面影をよく残している。

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世界大百科事典内の竹内街道の言及

【飛鳥美術】より

…これと歩調を合わせるように翌年慧慈も高句麗に帰国する。 一方同じころ百済人路子工(みちこのたくみ)が御所の南庭に須弥山形および呉橋を構え,百済人味摩之(みまし)も伎楽を伝えるなど百済からの来朝あいつぎ,613年には飛鳥と難波を結ぶ竹内街道が開通し(紀),これによって難波との直結をねらった,斑鳩宮の存在価値は半減する。これ以後聖徳太子は政治の舞台から後退し,615年には帰還する遣隋使に従って百済の使いが朝貢するなど,蘇我氏による百済路線復活のきざしがうかがえる。…

【丹比道】より

…その名称は,大津道とともに,《日本書紀》の壬申の乱の記述中に見えている。近世の竹内街道,長尾街道は,それぞれ丹比道,大津道の後身と考えられる。両道は,約1.9kmの間隔を保ちながら,ほぼ真東西に平行して走る。…

※「竹内街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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