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橋本市蔵(初代) はしもと いちぞう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

橋本市蔵(初代) はしもと-いちぞう

1817-1882 江戸後期-明治時代の漆芸家。
文化14年2月生まれ。鞘塗師(さやぬりし)又次郎の子。維新後,廃刀令により鞘塗師をやめ,竹の模造塗りを考案。青竹,枯竹,煤竹(すすだけ)などの模様を菓子器,手箱,煙管(きせる)筒,杖などにほどこした。明治15年2月7日死去。66歳。江戸出身。通称は橋市。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

橋本市蔵(初代)

没年:明治15.2.7(1882)
生年:文化14.2(1817)
幕末明治期の漆工。江戸八官町甘酒屋横町に鞘塗師又次郎の子に生まれ,幼名は市三郎,のちに市蔵と改める。姓名の頭文字1字ずつを取って橋市と称し「はし一」の焼印を用いる。維新後の廃刀自由令(9年廃刀令)以降,刀の鞘塗が衰退したため,竹の模様塗を考案し額縁,花生,菓子器などに応用して好評を博し,橋市の竹塗として知られた。50歳のときに遁世して頭髪を奴風に模して酔阿弥と号し,また貧民に施しをすることを喜びとした。木戸孝允,大久保利通の寵遇を受け,京都の陶工清水六兵衛と深く交わった。6年ウィーン万国博覧会有功賞牌,第1回内国勧業博覧会竜紋賞。門人の大林安三郎を養子として,2代橋市を継がせた。浅草の長泉寺に葬られている。<参考文献>『近代日本の漆工芸』

(内田篤呉)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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