檀林寺跡(読み)だんりんじあと

日本歴史地名大系 「檀林寺跡」の解説

檀林寺跡
だんりんじあと

嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(檀林皇后)が承和年間(八三四―八四八)に建立した尼寺。正確な寺域は不詳であるが、「山城名勝志」は「按増鏡、檀林寺ノ跡ニ浄金剛院ヲ建テルト云云、浄金剛院、天龍雲居菴ノ東隣也、雪村行道記ニ西禅寺檀林寺ノ地ト云ヘリ」とある。西禅さいぜん寺は浄金剛じようこんごう院の北東野宮ののみや(以上現右京区)の南にあたる。したがって野宮より南の天龍寺一帯が寺域であったと考えられる。「続日本後紀」承和三年閏五月一四日条に「右京少属秦忌寸安麻呂、造檀林寺使主典同姓家継等、賜姓朝原宿禰」とあって、秦家継が造檀林寺使主典であることがわかる。供養の年月は明らかでないが、「文徳実録」嘉祥三年(八五〇)五月五日条に「后自明泡幻、篤信仏理、建一仁祠、名檀林寺、遣比丘尼持律者、入住寺家、仁明天皇助其功徳、施捨五百戸封、以充供養」とあり、皇后の死後官寺となる。


檀林寺跡
だんりんじあと

[現在地名]市浦村十三 通行道

十三じゆうさんから南へ約一キロ、道路の西側防風林の中の通行道つうこうどうにあった寺。永暦元年(一一六〇)藤原秀衡の弟秀栄が平泉ひらいずみ(現岩手県西磐井郡平泉町)中尊ちゆうそん寺に劣らぬ壮大な霊鷹山檀林寺を建て、三年間ここで国政を行い、建久四年(一一九三)死去し埋葬されたという(津軽十三湊の研究)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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