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中御門天皇 なかみかどてんのう

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美術人名辞典の解説

中御門天皇

第百十四代天皇。東山天皇の第五皇子、母は内大臣櫛笥隆賀の娘新崇賢門院藤原賀子。名は慶仁。朝儀研究に意を用い『公事部類』等を著す。享保20年に位を皇太子昭仁親王(桜町天皇)に譲り、太上天皇の尊号を受けた。元文2年(1737)崩御、37才。

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デジタル大辞泉の解説

なかみかど‐てんのう〔‐テンワウ〕【中御門天皇】

[1701~1737]第114代天皇。在位1709~1735。名は慶仁(やすひと)。東山天皇の第5皇子。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中御門天皇 なかみかどてんのう

1702*-1737 江戸時代中期,第114代天皇。在位1709-35。
元禄(げんろく)14年12月17日生まれ。東山天皇の第5皇子。母は藤原賀子(新崇賢門院)。父の譲位をうけて即位するが,父の代に復活した大嘗(だいじょう)祭はまた中止となる。幕府は6代将軍徳川家宣(いえのぶ),7代家継(いえつぐ),8代吉宗の時代。弟直仁(なおひと)親王に閑院宮家を創立させた。元文2年4月11日死去。37歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は長(ますの)宮。諱(いみな)は慶仁(やすひと)。著作に「公事(くじ)部類」など。
【格言など】わが代にもところをえてや民までも心のどかに春をたのしむ(享保(きょうほう)15年御会始)

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朝日日本歴史人物事典の解説

中御門天皇

没年:元文2.4.11(1737.5.10)
生年:元禄14.12.17(1702.1.14)
江戸中期の天皇。宝永6(1709)~享保20(1735)年在位。霊元天皇第5皇子,長宮。母は櫛笥隆賀の娘賀子(新崇賢門院)。諱は慶仁。宝永4年3月儲君,同年4月親王宣下,5年立太子,6年6月践祚,7年11月即位。先帝の時再興された大嘗祭は霊元院と幕府との勅約により再絶。しかし7年の閑院宮創設,朝儀再興にみられるように幕府との協調関係は続いた。朝儀研究に意を払い『公事部類』などを著す。享保20年3月21日譲位。幕府は院御料として1万石を献じた。陵墓は京都泉涌寺内月輪陵。<参考文献>辻達也他編『日本の近世2 天皇と将軍』

(母利美和)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

なかみかどてんのう【中御門天皇】

1701‐37(元禄14‐元文2)
第114代に数えられる天皇。在位1709‐35年。名は慶仁(やすひと),東山天皇の第5皇子。1708年(宝永5)立太子,翌年,父天皇の譲りをうけて践祚した。その在位は将軍徳川家宣から家継を経て吉宗にわたる年代に当たり,朝幕の関係も前代にひき続き良好で,即位の翌年には幕府の奏請によって閑院宮の創立をみている。朝儀に対する関心が深く,古記録から朝儀の記事を抄出,分類した《公事部類》その他の撰著もある。また多才で,管絃,和歌,書道をよくし,ことに笛はたんのうで,その音色にはキツネも御殿のすのこ近くにやって来て,聞き入っていたという逸話も伝えられている。

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大辞林 第三版の解説

なかみかどてんのう【中御門天皇】

1701~1737) 第一一四代天皇(在位1709~1735)。名は慶仁やすひと。東山天皇第五皇子。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中御門天皇
なかみかどてんのう

[生]元禄14(1701).12.17. 京都
[没]元文2(1737).4.11. 京都
第 114代の天皇 (在位 1709~35) 。名は慶仁 (やすひと) 。東山天皇の第5皇子。母は内大臣櫛笥隆賀の娘,新崇賢門院藤原賀子。宝永6 (09) 年受禅,翌年 11月 11日に即位。享保 20 (35) 年皇太子昭仁親王 (桜町天皇) に譲位し,みずからは太上天皇の尊号を受けた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中御門天皇
なかみかどてんのう
(1701―1737)

第114代天皇(在位1709~35)第113代東山(ひがしやま)天皇の第6子。名は慶仁(やすひと)。生母は新崇賢門院賀子(内大臣櫛笥隆賀(くしげたかよし)女)。1707年(宝永4)親王宣下。翌年立太子。女御(にょうご)新中和門院尚子(近衛家煕(このえいえひろ)女)。35年(享保20)皇太子昭仁(てるひと)親王(桜町(さくらまち)天皇)に譲位。元文(げんぶん)2年4月11日崩御。御陵は京都東山今熊野にあり、月輪(つきのわ)陵という。[辻 達也]

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