改訂新版 世界大百科事典 「武烈王陵」の意味・わかりやすい解説
武烈王陵 (ぶれつおうりょう)
Mu(r)yǒlwang-rǔng
韓国,慶尚北道慶州市西岳洞にあり,統一新羅時代第29代太宗武烈王の陵墓。661年(竜朔1)に没し埋葬された。慶州盆地西方にある仙桃山の南東麓,丘陵地末端部に築かれた西岳洞古墳群の一つを構成する。周囲約112m,高さ約13mの円墳状をなし,墳丘裾のところどころに割石が露出するが,墳丘の崩壊を防ぐ外護列石の一部と思われる。東方には陵碑の存在が認められるので,東面していたことになる。陵碑は現在,亀趺(きふ)(亀をかたどった台座)と螭首(ちしゆ)(竜を刻した碑首)だけしか残っておらず,その中間の銘文を刻んだ碑身はなくなっている。螭首の中ほどに篆額(てんがく)があり,〈太宗武烈大王之碑〉の8字を2行に陽刻する。螭首,亀趺ともに唐の陵墓制度の影響を受けたものであるが,文献史料でみられるとおり,当時における新羅と唐の密接な関係がうかがえる。碑の四隅に礎石が残っているので,もとは碑閣があったと思われる。なお,陵碑については,《大東金石書続》によると,〈武烈王碑,在慶州,金仁問書,唐高宗竜朔元年辛酉立,羅文武王元年也〉とみえる。
執筆者:西谷 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報