改訂新版 世界大百科事典 「武烈王」の意味・わかりやすい解説
武烈王 (ぶれつおう)
Mu(r)yǒl-wang
生没年:603-661
朝鮮,新羅の王。在位654-661年。姓は金,諱(いみな)は春秋。廟号は太宗。善徳女王代の642年,高句麗と結んだ百済による大攻勢をうけて新羅が国家存亡の危機にたつと,貴族将軍金庾信(きんゆしん)の勢力をうしろだてに高句麗,倭,唐の諸国を股にかけて往来し,外交手腕をふるって唐の援助をとりつけ,真徳女王代に親唐政策をおしすすめた。その結果,新羅は唐に臣属し,6世紀初めの法興王以来の衣冠制や独自の年号を改めて唐の制度を採用,651年には唐制にならった官僚体系を中心とする国家機構をととのえた。唐服を着た新羅使が倭人を驚かせたのもこの年である。654年金庾信らに推戴されて即位,唐の冊封をうけ,法制を整備して理方府格60余条を制定した。唐の高句麗遠征に協力し,子の金仁問ら遣唐留学生に援軍を請わせ,660年金庾信,太子法敏(文武王)らを率いて唐の百済遠征軍に連合し,百済を滅ぼして三国統一の基盤をかためた。
執筆者:大井 剛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報