武藤環山(読み)ムトウ カンザン

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「武藤環山」の解説

武藤 環山
ムトウ カンザン


肩書
衆院議員(国民協会),熊本県

本名
武藤 一忠(ムトウ イッチュウ)

生年月日
天保7年12月20日(1836年)

出生地
肥後国菊池郡原村(熊本県)

経歴
文武に通じ、安政2年木下梅里に師事、のちその私塾の教授。菊池文芸倡方となり菊池文武講堂で経書を講じた。明治維新には諸種の公職に就き、14年自由民権論が起こると欽定憲法を主張し紫溟会を組織。のち国権党結成、熊本県会議員となり、同参事会員、副議長として活躍。30年以来衆院議員当選2回。晩年は詩文を楽しみ、著書に「環山草堂詩文集」「男虎太編」がある。

没年月日
明治41年5月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武藤環山」の解説

武藤環山 むとう-かんざん

1837*-1908 明治時代政治家
天保(てんぽう)7年12月20日生まれ。木下犀潭(さいたん),木下梅里に漢学をまなび,梅里の私塾をつぐ。反民権の紫溟会,国権党にくわわり,熊本県会副議長などをへて明治30年衆議院議員(当選2回,国民協会)。明治41年5月19日死去。73歳。肥後(熊本県)出身。名は一忠。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例